旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

フウチソウ
 漢字で書くと、風知草。
 風が吹くとサヤサヤと葉が揺れる風情がよい。
fuuchisou
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怪我と弁当
怪我と弁当は自分持ちというのが、われわれが育つときに教えられた基本のひとつでした。
即ち、自己責任でなにごとも対処すべしということだから、注意事項は聞かない方が悪いし、多少の痛みは勉強のうちでした。
へまをして、親にそんなことを言ったら、もう1回怒られるのがオチだということで、繰り返さないことを体験として学んだものでした。

 マスコミ?などでもよく取り上げるような、川に柵がしてないから落ちて水に溺れただとか、滑りやすいと書いてないから転んで怪我をしただとか、悪いのは全部自分以外の誰かだと臆面も無くいって憚らないのがニュースとなるのを聞くと、実に腹立たしい。
 馬鹿を言っちゃあいけません。余程の馬鹿じゃなきゃ、川に落ちたり滑って転んだりなんてこたあありません。第一注意書きなんかしてあったって読んでも守らない人のことをなんで保護しなくっちゃならないのか。
 「君子危うきに近寄らず。(意味を間違えてとっているむきが多いのだが)」と基本を教え、守らないで痛い思いをしても持っていくお鉢がないことを理解させるべきだ。
 ちかごろはあたりまえに見かける風景になってしまいましたが、「だめよ」なんて優しく言って言うことを聞く子かどうか、親でいてわからないのかと思うことが多い。
 ひっぱたいてでも教えることが、ゆくゆくその子やその縁に繋がる人の命を救うことになるかも知れないとしたら、うわべの優しさなんてへのつっぱりにもなるまいに。

 似非人道主義にひっぱられて、自分で考え責任を負うことをしないでいるツケは、“うちの子にかぎって”という例のやつに繋がりかねず怖いと思うのだが・・・。
 子がかわいくない親がいるかっ!面をおかしてでも、やるときゃやれっ!といいたいのです。親や教師しかできないじゃないかと思うのです。

無粋

無粋

 顔の不自由な人が居るというブスイでも無水でもなくって、無粋。(若い読者もいるようだから、あえて説明。)

このページって、頭安めにある程度お気楽路線で好き勝手に書かせてもらっているから、ときに正しい漢字表現では憚りがあるときがあります。

 

 最近の例では、「簾裡(れんり)詩」を若者が「ひよこの鳥」と言ったときなどがそうでした。

「比翼連理」比翼の鳥と連理の枝のことで、夫婦なかようされてるんだと読み解いた心算でした。

 雛(ひよこ)の鳥か~・・・うめーもんだね。いや、食ってじゃなくって・・・。

 比べて同じ穴のエビ(偕老同穴=ともに老い穴を同じゅうす)ってことには、まだまだ間があるようです。

いっそう修行に励むことにします。

 

小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進む。

http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html 

番外偏 秘剣「寸のび」

http://goldencastle100.web.fc2.com/hikenn1.html


 騎虎の勢いってのがあります。虎の背に乗った武者は途中で降りると虎に食われてしまうので、中途半端なことはできなかった?牙にかかるってか?
 その話しじゃなくって、騎馬。
 武田の騎馬軍団なんていうのをよく聞きますが、騎馬っていうときの兵員数は、どうも単純に馬一頭人ひとりというような数じゃないような気がします。
 騎馬武者に付き従う徒歩をどう勘定してるんでしょうね

いずれがアヤメ花菖蒲
いずれがアヤメ、カキツバタとよく言われるように、見分けが難しい。
そこに3000種もあるといわれる花ショウブが加わる。

大雑把なくくりをすると、花の中心部分が黄色なのが花ショウブで、白いのがカキツバタ。
花びらに文目(あやめ)模様があるのが、アヤメということではあるが・・・アイリスなんてのもあるし・・・

これはアヤメ
ayame2962

ビールは酒にあらず?
 飲むための知恵を働かすこと、げにかくのごとし。
かなり前のことになるが、深夜家に電話がかかってきた。社員が救急車で病院に運ばれたのだという。
 AAはイッパイ呑んだあとだったので、車を出すわけにはいかずタクシーを拾って病院に急いで駆けつけたわけであります。
医者に「どんな様子なんでしょうか?」と尋ねると、「ああ、いわゆる急性アルコール中毒ですね。」とのいともあっさりした返事。
たいそう心配してかけつけたことでもあり、翌日その社員にしばらくの間禁酒を申し渡したという次第。
 ときどき呼んで「飲んでないだろうね?」とチェックしていたのだけれど、そのたび「一滴ものんでません。」との返事が返ってくるので安心していたのだけれど、それにしては朝酒臭い息をしているように思える時がある。それで、「本当に飲んでないだろうね?」と問い詰めると、「はい、酒はやめてビールを飲んでます。」
 酒を般若湯といいぬける生臭坊主よりタチわるいぜよ。

ハン
 ウラミといってもハン(恨)のことではないらしい。裏見の滝なんですと。

 日光にある裏見の滝は何回も行ったが、もう5年ほど前にもなる雪を踏み分けて見に行ったのが最後です。上州武尊岳(ジョウシュウホタカダケ)の近くにある裏見の滝は、すぐそばの武尊神社まで、これも車で行くことができます。
 この滝は、水が流れ落ちる滝の裏側を通り抜けながら見られるのですが、今は立ち入り禁止になっているかも知れません。
 ここは、秋の紅葉の頃に訪ねるとよいかと思います。
 と申しますのは、水上市藤原(藤原湖のちかく)にはこの他に、一望100万株のコスモスが咲くホテルサンバードがあるからです。湯の小屋温泉も近くにあるし、紅葉に染まる道路沿いには茸の戸板商売店もでるから、“夏”すぎて“秋”来にけらし紅色の・・・の時季がお勧め。ゲにおそろしきは、クイモノの魅力。

 AAのところには、腹を空かした雀がしょっちゅうやってきます。クイモノがないと、窓に体当たりして餌の催促をします。そのくせをして、窓から離れた室内でさえ少しでも動こうものなら、出してやった餌を食べるのをやめて飛び去ります。そこらへんの道端で餌を啄ばむ雀へのほうが余程近くまでいくことができるってんだから、どうなってるんだか・・・

ドレスコード
 ダビンチコードなんてのもありました。こりゃ関係ないか。
 
 息子のピアノリサイタルに行くときの必要があって、テール(燕尾服)を何着か持っています。
 仲人をやったり、主賓として挨拶することがあったりもして、モーニングも必要であったので、
度々使うものではないのですが、なんとなく礼服とそれに伴う小物が何セットか揃いました。

 テール(燕尾服)・モーニング・タキシード(準礼服)・烏帽子長袴・衣冠束帯・紋付裃・・・揃えるとなると大変なことです。
 夏冬それに小物まで合わせると、もうわけわからんことになるぜよ。
 まあ、「ぜよ」なんて言ってるうちは、陛下がお出ましになる席に侍り、拝謁の栄に浴するなんてことは、あらっしゃりません。

 礼装については、ネット上にいろんなのがあります。
たまには正装に威儀を正してみるのも気持ちのよいものです。

犬がねこを産んだ
犬が猫を産むわけがありません。犬がネ、子を産んだ。読点の打ち方で紛らわしくなる例のひとつです。
ねこがねこをうんだ
 当たり前だって?猫が猫を産んだ。猫がネ、子を産んだ。どっちでしょう。
 健気な(最近つかわれなくなった日本語)猫がいました。
 金を侵して、おっと禁を犯してマンションで飼っていた猫を、引越しのとき置き去りにして行った人がおりました。
 このアビシニオン、捨て猫になったあと必死で次の飼い主をさがそうと、涙ぐましい営業努力をして、少しでもやさしくしてくれそうな人や、ドアを開けた隙をねらって家のなかに入り込むなどしたが、余りに節操なく次からつぎへと愛想をふりまくのを疎まれて、餌は確保できても飼い猫に昇格するにはいたりませんでした。
 段々冬が近づくにつれ、この猫の行く末を案じた当マンションの心優しい有志が、嫁入り先をさがし、無事よめっていきましたが、いまごろどうしているやら。

しんしゅしなのの
 ソバを見ると思い出すのが、中学のときの理科の先生。
担任ではなかったけれど、移動教室というので教わった。私は、授業中の怒られ頭でもありました。
 この先生がその授業中に教えてくれたのが、“しんしゅしなのの しんそばよりも あたしゃあんたの そばがいい”だとか“あたしゃあんたに ほうれんそう”だとか、そのほか他聞を憚るようなこと多数。私は、けっこうこの先生が好きだった。

 退任されてから、そのころの話をすると、「どうかご内聞に。」なんてことを言ってたらしいけれど、誰も教師らしからぬなどと言って怒った人はいません。

 なんでソバの話しになったかっていうと、友人の親しくされている方が今年ソバを育てているということで、新蕎麦がとれたら私に蕎麦を打てということになっているからです。
akasoba

 その昔は10割蕎麦なんてのを打ったりしましたので、大見得をきって「まかしとけ。」なんて言ってましたが、どうなることやら。いまじゃ二八そばだって怪しいもんかも。
 いっそ蕎麦掻きってことにしちまったらいいかも。
それも、茶碗を火で炙って温めたところにそば粉をいれ、熱湯を注いでかきまわしただけのものに生醤油をつけて食べるっていうもの。
 蕎麦好きだって自慢してても、これを旨いといって食える人は少ない。
 子供のころ、ときどき食したが、旨かったという記憶はあまりありません。

やきゅう稲荷

 「近くにヤキュウ稲荷があります。」走行中カーナビがそう告げた。

「えっ!お参りすると野球がうまくなるオイナリさんなんてのがあるのか?」と思って文字を見ると、センキュウ稲荷となっていた。

 選球という文字ではない。

さあお立会い。どんな漢字が書いてあったでしょう?

 

 勿体ぶっていないで書いてしまうと、箭弓稲荷であり、信号機の下のローマ字表示は、yakyu-inariとなっておりました。

 帰宅後調べてみたネットには、こんな具合に出ていました。

http://shrine-temple.jp/724488 

でんでんむしむしカタツムリ
でんでんむし
katatumuri

 雨が降ると、どこからともなくカタツムリが出てくる。
 食用の為に育てているバジルの葉っぱを舐めていても、駆除するに忍びない気分となります。そんなわけで、何十匹も動き回る結果となっています。

 高校時代の漢文の時間に、白居易の七言絶句を習ったことを思い出します。

蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)に何事をか争う
石火光中に此の身を寄す

 蝸牛は、かたつむりのこと。
 カタツムリの角の上のような狭く小さなところで、何を争っているのだろう。
 火打石の光のように短いときの中に此の身を置いているのに・・・

やまの畑で
やまのはたけで
 くわのみを こかごにつんだは まぼろしか
tunami

 桑の実のことをドドメっていうんだそうです。ドドメイロというのはここから来た。
私の育ったあたりでは、それをツナミと呼んでおりました。
 熟れる前の赤い実は酸っぱくて、熟れて紫色になった実は甘くて、その双方とも学校帰りに摘んで食べました。まさに、道草を食うってやつ。
 この道草には難点が二つあり、そのひとつは、食べると口中が紫色に染まって食べたのがバレルのと、運悪く果汁が衣服に着くと洗っても落ちなかったこと。
 ふたつめに、この実のまわりには“ヘクサムシ”(カメムシのこと)というのが集まっていて、うっかり触ると大そう嫌な臭いが移ることでした。
 余談ですが、カメムシの背中は角ばっているので、四角四面で融通のきかないことをすることや、緊張して固くなっている様子を言うのに「ヘクサムシのご年始みたいなことをする。」と表現していました。

 桑材は、その木目の美しさから、家具や仏具や茶道具として使われますが、AAたちは枝を適当な長さに切って(肥後の守が活躍した)、よくチャンバラに使った。

脳の持つクセ
 脳低温療法を生み出した脳外科医の林成之先生が仰います。
 家庭・学校・会社を誕生させたのは、「生きたい」「知りたい」「貢献したい」という脳の本能なのだと。
 人間の脳の本能は、自己保存と一貫性を保つクセを人に持たせるから、保身と事なかれ主義に結びつきやすい。必要ゆえに備わる本能だけれども、クセの働きが機能不全を起こしている可能性も大きい。

 一方人には、何事をも可能にせずにはおかない潜在意識というものが誰にも備わっているのだというけれど、変りたくないという意識がそこに至る道を閉ざしてしまっているらしい。
 良くなりたい、変りたい、と思っていても、実際の行動に移すのを阻んでいるのが自分自身であるのだとしたら、そこに気づくことが最初の一歩ということになる。

そうそうない話
 少なくとも片親はいないと子はできませぬ。
 むかし、我が家に未婚の女性が来ていたとき、その女性が急な腹痛に見舞われ苦しみ始めました。
 たまたま居合わせた「先生」(な~んのせんせいなんだか?)と呼ばれる小父さんが、車で病院に連れて行ってくれることになったのですが、そのときの言葉がふるっている。
「あなた、マリアさまとおんなじ病気?」
 なんのことか分からなかったのだけど、あとで大笑いになった。なにを創造したんだか想像したんだかネ?

働かざる者食うべからず
食文化というのは、相互が理解するのは難しい。クジラを食べるのは怪しからんというが、牛はいいのかってことにもなりかねない。
動物を食べるのは可哀そうだというが、野菜や植物にだって命はある。
働かざるもの食うべからず
 手塩にかけて飼育し、或いは栽培したものだから、食べる権利がある。
なるほど・・・
 そこにいるもの、あるものを食べるのにだって、採取や捕獲に汗を流さないで済むということはありませんが・・・

 どこかで読んだ「ブタがいた教室」では、手塩にかけて飼育するうちに情が移ってしまい、とてものこと食べるには忍びないということになったけれど・・・という話だったと記憶します。

 グリム童話集かなんかにもありましたっけ。子供を捕え、太らせてから食べようとしたというお話しが・・・

 ものを言うからには、その人たちの根拠というものがあるのでした。
 その逆の行いをする人たちにも、主張というものがあるから、双方の折り合いをつけるのは難しいということですか。
理解するためには、まず聞くということからなのでしょうが、これがまた困難を極める。
聞く耳を持つというのは、簡単ではない。

旅にしあれば
 旅にでると、いろんなことを覚えるよね。
 「ねぶた」と「ねぷた」。
 むかし行ったとき見せてもらったのですが、どちらも大掛かりなテント張りのなかで作成していました。
青森では「ねぶた」。弘前では「ねぷた」というんだそうです。

 「かもめ」と「うみねこ」
脚がピンク色なのが「かもめ」、黄色なのが「うみねこ」なんだそうで、どちらかわからなかったら「ごめ」と言っておけばいいんだとか。

 「沼」と「湖」
水深が5メートル以上で、岸辺までしか植物が生えていないのを「湖」という。
沼は、いたるところから植物が顔を出しているんだそうです。

 ガイドさんに教わったそんな話をしていたら、友人が私に問いていわく「トンネル」と「隧道」の違いはわかるか?  知りませんでした。
両側から掘っていって、中でつなげるのをトンネルといい、片側から掘り進めていくのを隧道というのだと教えてくれました。

パワースポット
 長野県の蓼科に横谷渓谷というのがあります。
 蓼(たで)というのは、龍の意味を持つのだとのこと。渓谷を吹き渡る風に、龍の気脈を感じ取れるように心気を澄ませて歩くのがよいのだという。
 この渓谷には、滝が多い。乙女の滝・霧降の滝・王滝・・・等など。
 乙女の滝は、マイナスイオン指数が20000個/ccとの表示があります。
爽やかな木陰の道を散策することで、気が満たされます。

どうしてではなくて、どのように

 なにかちゃんとしたことをしようと思ったとき、無意識のうちに整理整頓やお掃除をしている自分にに気づくということはありませんか?

 

 大きな願い事があったり、決意も新たにというようなときは尚更です。

 別に誰かに強制されたということでもないし、そうすると良いのだと誰かに教わったということでもないのに・・・

 お墓参りをすると良いという人がいます。静かに澄んだ心になれるからだと。

 いずれにしても何かを聞き届けて貰うためには、頼む方も頼まれる方もクリアーな状態になっていると伝わりやすいからかも知れません。

 

 墓石クリーニングを、それも自分で心をこめてやると、どうすれば運がむいてくるのかに気づかせてもらえるといわれます。なぜなのかは、実際にやってみるまでわからないと、やったことのある人は言います。

 自分でもできる墓石クリーニングというページがあります。

 http://www.kng2321-cbs.com


ホタルの宿は

 ホタルの宿は川端柳 柳おぼろに夕闇よせて 川のメダカが夢見るころは ほ ほ ホタルが火をともす

 なんていう童謡を思い出します。

 

 写真のホタルブクロは、白いもので、余り見かけることはありません。
hotarubukuro


お掃除道具になるか?
 ザルとか網は、使い方によるとゴミをすくうのに便利です。
 しかし、ザルで水を掬うというのは、できぬ相談です。
網でメダカを掬うというのも叶わぬことがら。
 このことから、救いようのないバカを呼んでメダカばかということがあります。

 先日、朝のラッシュ時間を過ぎてかなり空いた山手線に乗ろうとしたとき、後ろから若い女性に突き飛ばされました。
もっとも、若い女性だとわかったのは、その後のことです。
 その後っていうのは、一つだけ空いていた席に座らんがためであったということだし、なぜ座らねばならなかったかというと、座って眠るためであったのであります。朝帰りということです。
 座るやいなや、およそ人類の品性とは程遠い顔を人前に曝し、口も足も広げて寝てしまいました。おーおー。
 はじめはショジョのごとくって風情更になく最初から最後までダットのごとしでした。
 ガッコも親も一体なに教えているのやら、それとも教わったけれど身につかなかったのか。
  
 我が身の目先だけを求めてなりふり構わず得たものなど知れたもので、心の平安や幸せな気持ちに至るには程遠いもの。
 なにごとをも可能にするといわれる潜在意識の世界では、自分と他人を区別できないのだといわれています。
善人ぶる必要はないかとおもいますが、自分にも他人にも気持ちの良いことをした方が良いのだと思います。

ぜんぜん

 「ぜんぜん」って言ったら、次にくるのは「無い」等のような否定語なんじゃないのかっ!

ついさっきも某タレントが口走っていた「ぜんぜんありますよ。」ってのは、いったい何語なんじゃ?

 「だんぜん」と「ぜんぜん」が混同している。

 

 暇だからといってTVを見てると、精神衛生上よろしくない。とにかく、ひどかった。

1月元旦の朝”(元は一番最初、旦は、朝のこと)“挙式を挙げる”

“縁談ばなし”(談は、話のこと)

“たべれる”(れるられるの区別)

策士を“作詞”織物を織るを“折る”熱い気持ちを“厚い気持ち”と読む、などなどキリなく出てくるから、神経がヘトヘトになっちまう。

 なんとかなんないもんかね~。

ハマグリは虫?
 蜃気楼の蜃は、蛤のことなんだそうです。
 蛤が怪しの気を吐いて中空に楼閣を築いて見せるのが蜃気楼の名の由来なんだと、10日に催された在京飯田高等学校同窓会に基調講演をされた富山大学市瀬和義教授のお話の中にありました。
 天球の外の、時間のない世界をイメージし創造したむかしのひとの話は、竜宮城にしてもかぐや姫にしても面白い。
☆だって天球にあいた筒状の穴から漏れ出る光だということになっていたらしい。

コンビニにて
 今日は多少忙しいし、雨もふっているしするから、近所のコンビニで弁当を買って済ますことにしました。
 レジに居た馴染のおばちゃんに「これじゃ、栄養が足りないかね~?」と聞くと、ダイエット中のこのおばちゃんが「これで充分です。机に座っているんでしょ?」とキッパリ言いました。
 で、こちらもキッパリと答えました。
「机に座るなんて、そんなバチアタリなことはしていません。ちゃんと椅子に座ってます。」
 レジ待ちをしていた他の客も一緒になって大笑いでした。

 でも、慣用句になっているみたいだけど何で「机に座る仕事」っていうんでしょうね?
 机の前に座るというのが省略されたのかしらね。

 食べ物の話ですが、
 昔は、住んでいるところの200m内で取れるものを食べるのが身体に良いのだと言われていました。旬のものというのも、そういう意味で大事だったと思うのですが、今はどんな野菜果物であっても1年中食べられます。
 交配によるF1の種の問題のほかにも遺伝子操作された動植物というのがあって、今後どんな影響がでてくるものやら・・・

孔雀
 美しい羽を持つキジ科の孔雀は、その優しげな姿に似つかず、ナガモノ(蛇のこと)の天敵ということになっています。
 この鳥、たいそう頭がよくて、わざと弱ったふりをして蛇を身体に巻きつかせ、巻きついた途端に一気に羽を広げて蛇を引きちぎり、食べてしまうのだとか。
 インドでは毒蛇が恐れられていたから、そんなこともあってか密教の孔雀明王という守護神ができたのかも知れません。

 トンビもそれ(ヘビ)を食べるという。
トンビといえば、先日の山菜狩りのとき見たのですが、くるりと輪をかかないで低空を滑空しているから、ナガモノでも見つけたのかと思ったら、其処は深い谷の上でした。
 鳥はあの小さい目でありながらトリメなんていって軽く見ちゃあいけません。
高空から地上の獲物であるネズミやナガモノを見つけちゃうんですから。

 私なんぞは、目と鼻の先にあったって見えないものが一杯あります。(遠くて近きは男女の仲。近くて近いは目鼻口。)

こごとは大事だよ

      7号 こごとはだいじだよ
よ~くかんがえよう、なんて言わなくったって、教育は大事です。

 朝の通勤時間、混雑する電車の優先席に丈夫そうな女子高生が足を投げ出して座っておりました。
 風邪でも引いているのか鼻をグスグスいわせていたのですが、ティッシュを取り出して鼻をかむや、あろうことかかみ終わった紙をまるめて座席の隙間に押し込んだのです。
 周りで見ていた大人は見て見ぬふりを決め込んで、(ないしはソレがイケナイことだとは思わないからなのか)誰一人として注意を与えるということをしませんでした。

 たまりかねて「きみ、どこにゴミを捨てたの。そういうことをしちゃ駄目だよ。」と窘めたところ、マズイことだと認識する位の判断力はあるのか、意外に素直に「すいません。」と反応した。

 「なんで悪いんだ。」なんて居直るようなことがなかっただけまだましだったが、言われなきゃ何でもありってことにしてしまっている風潮は、どっかで断ち切らないと、理性があることをもって動物とは違うことを任じる人間としてはいかがかなものかと思うのです。

 ゴミを捨てない、散らかさないのは、お掃除の前段階。
 整理・整頓・清掃と、身の回りを綺麗にすることで感じる幸せということにもっと大人の自覚がなくてはならないと思うのです。
 親が悪い。その親を育てた教育が悪い。わかっていて直さないやつはもっと悪い。

 ご先祖様を大事におもったら、身を律することは言われないでもするでしょうが、一歩進めて墓石クリーニングまでやったら、きっと喜ばれます。
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