旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

うれうるに

 今日はたいそう忙しかったので、昼食を摂る時間を惜しんで、近所のコンビニでおにぎりを求めて済ますことにしました。

 店内は混んでいて、レジの前もかなりの人数がならんでおりました。

 「ちゃんと並んでクダシャイね。」幼児を二人連れた若いお母さんが、下の子に声をかけるのを聞いて、『うん、マナーをきちんと教えてなかなかよろしい。』と思ったのもつかの間、上の子が「これ、たべられるの?」と質問したのに対し、「食べレルから売ってるんダヨ。」ときたもんだ。

 子供のほうがよっぽどたしかな言葉づかいでしょうに。

 きわめつけは、下の子が、これから買ってもらうのであろうと思われるお菓子の箱を口にして舐めているのを見て、「コラ、オメーは何食ってんだよー。」

 若いお母さん!ヘソだしの服装はがまんするから、乱暴な言葉遣いはやめましょうね。母は、子の鏡なんですから。

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小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進む。

http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html 

取り敢えず、第1部は完了です。

番外偏 秘剣「寸のび」

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福の神様
 福の神さまは、幸せを一杯詰め込んだ大きな袋を担いでいるので、他の神様たちのように身軽に動くことができないんだそうです。

 そんなわけで、新しいお家ができると、そこへ早く着いた神様から順番に良いお部屋を陣取ってしまうため、福の神様が行き着いた頃にはもうトイレしか居場所となるところが残っていないんだといいます。
 だからそこに居つくことになるわけですが、其処を綺麗にすることにいつも気を配っていれば、福の神様としては気分がいい。
「愛い奴じゃ。」ってことになって、袋からいろんなものを取り出したくなるのは蓋し当然といえば当然のことに相成るわけでございます。

 社業上のお得意さんとして以前お世話になりました、「銀座まるかん」の齋藤一人社長のお話です。

 このお話しは、お掃除をやる会社のわれわれにとって随分勇気づけられたことでした。
 心がけと雑巾掛けは、ひじょ~にたいせつなのであります。トイレをきれいにしましょうネ。

花園 道の駅

 関越自動車道の花園インターから、国道140号線を秩父方面に1km程の所にある道の駅は、絶対おすすめです。

 関越道を走るときは、途中で降りてでも寄ることが多い。

 

 JAの野菜直売上は、新鮮で品数豊富しかも安いから、いつもついつい買いすぎてしまいます。

 併設されている花の売り場も、蘭など綺麗な花がが安く手に入ります。

 その隣にある盆栽売り場も、好きな人には堪らない品揃えです。

 

 http://www.mint-j.com/fm/02/002.html 

そうかなあ?
 新聞の投書欄に72歳だという女性が投稿していました。いわく、「おばあちゃん」と呼ばれたのがケシカランというのである。
 72ならもう立派なおばあちゃんじゃないのかなあ。
 同様な主張に、身内でもない人からオバサンと呼ばれるのは我慢ならないというのが前にありました。オバには叔母や伯母しかないと思ってるのかも知れないが、小母っていうのだってある。
 おばあちゃんやおばさんっていう言葉は、最近できたことばではないし、長い歴史のなかで尊敬や親しみをもってずっと使われ続けてきたのではなかったんでしょうか。
 怪しからんという人たちが、その"おばあちゃん"とか"おばさん"という言葉について持っているイメージとか、その年配の人たちにそういう意見を書いた自分がどんな態度で接してきたのか一度聞いてみたいものです。

 ゆえなく、なんとかかんとか言われて無くなってしまったり変えられてしまったりした言葉のなかには、もし言葉というものに意思や人格があったとしたら、「不本意だ。」と言ったに違いないものがかなりありそうです。

 イジメというのは、"苛め"または"虐め"ということであろうが、国会でだってイジメがいけないという主張をしているその本人たちが、衆目の中、失言をしたと謝っている人に対し、寄ってたかって何回でも繰り返し責めているのを見せつけたら、子供達にとっては、自分が傷つかない大勢の側にいるときにはそうするものだと刷り込まれているのと同じなのではなかろうか。
 謝ったら、寛容の精神でそれを許し、以後双方が仲良くするというのが、我が国の古来からの美徳であった筈。
 ただ、最近のイジメは度を越している。大人が責任逃れをしている姿を見せつけていれば、それもまた一因となっているように思えてならない。
 諸外国では、謝ったら最後「貴方は悪いと認めたんだから賠償せよ。」ということになるのが常らしいけどネ。そういうのって、なんかイヤだね。

推参(すいさん)

 飯盒炊爨(ハンゴウスイサン=なんとも古いネ)というかバーベキューを、山間の綺麗な川辺でやっているパーティーを沢山見かけました。

 宴が済んで日が暮れて・・・、人の去った河原に降り立つと、そこは見るも無残なゴミの山でした。

 甚だしきは、近くに祀られている山の神様の前に、わざわざ大きなゴミ袋に詰めて放置して憚らぬやからがいたこと。このバチあたり共めが!(尤も、神様はバチをあてないとも聞くけれど。)

 

 案内も許しも乞わずに行くこと、現代風に言えばアポなしで行くのを推参といいます。

 ご存知織田信長さんが、本能寺の欄干に片足をかけながら槍をしごき、「下郎推参なり!」と敵兵を突き伏せるときのセリフ。

 まあ、誰が見ていなくったって、「四知(天知る・地知る・我知る・貴方が知る)」ってこともあるんだから、自らを恥じないように行いを律したほうが気持ちも安らけくあらむものをネ。

 これは、お掃除の前段階の汚さないというお話しです。

 

小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進む。

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ハス
 ハスの花が綺麗な時季です。泥中より出でてなお清らか。
 蓮華というと、蓮華草のことなんだかハスのことなんだか迷うけど、どっちが先なんでしょうね。
カヨウ酒は、蓮の葉っぱに酒を注ぎ、茎の導管だか篩管を通して茎に口をつけて飲むのだといいます。
ハスは、カニの中毒だとか酒の悪酔いの薬だというから、理に叶っているかも知れません。
薬としてはどうやって飲むのかっていうと、根をおろして「茶碗」一杯ほどを飲むんだそうです。
そういえば、蓮の実のことを静岡ではアンポンタンというのだとか。

それを舐めるはアンポンタン(山の中の薬屋さん)。なに?そのアンポン丹は違うって?
や~まのな~かのくすりやさん はくぼくけずってこなぐすり うまのしょんべんみずぐすり ソレ はな~くそまる~め~て まん~きんたん それをなめるはあんぽんたん。
 今を去ること50数年。子供のころ歌った歌です。

 蓮と睡蓮はどう違うのかっていうと、簡単にいえば蓮は水面から伸びた茎の上に咲き、睡蓮は水面に咲きます。

エライ
 ある国際試合を見終わって感じました。
 何かを一所懸命にやって、よい結果をだしたら、それは無条件で人を感動させるのではないでしょうか。全力で戦った後お互いを認めあい称えあうのは清々しい。
 恨みを残さぬノーサイドの精神がなくて、どうして真剣に戦えよう。
 やっぱり一流になる人はドコの国の人であっても、その言動に素晴らしいものを持っているのだと感じました。
 コメント一つだって、ちゃんとしているから、ある段階に達すると、人間性も一緒に涵養されてしまうということに違いない。

 学びて思わざれば則(スナワチ)罔し(クラシ) 思いて学ばざれば則ち殆うし(アヤウシ)

いつまでもニクシニクシでやっていたら、品格が落ちるばかりかやがては軽んぜられるだけだと思うのです。どこかで清算しないと、先々の幸せが見えてこない。時効の概念は、大事なことかも知れぬ。

あっそうそう294で思い出したんだけど、魔法陣というのがあります。
 憎しの山は七五三618は十五夜さん。っていうのなんですが。
なに?しらないですと?

294
753
618   これを3×3の升目に入れると縦、横、斜めの合計が15になる。

カマキリ
 狭い歩道を、若い高校生位の男女が並んで私の前を歩いていました。
 突然女の子が地面を指さし屈みこんで何事かを男の子に告げました。
 男の子も屈んで何かをつまもうとしました。
 急いでいたけれど、道幅がいっぱいで通れないので暫く立ち止まったのですが、見ると小さなカマキリでした。
 男の子は、恐る恐るそれを捕まえると、道路わきの生け垣に放してやっていました。
 追い抜きながら、「優しいね。」と声をかけると、女の子が「えへへ」と笑いました。
 日本の将来も、まだまだ捨てたもんじゃない。

ネオトニー
 動物において、性的には完全に成熟した固体でありながら、非生殖器官に未成熟な部分が残る現象をネオトニー(幼形成熟)というのだそうです。昆虫や犬、人にも多いのだとか。
 外見上のことをいうらしいですが、精神面のことまでいうならば、遥かなる約束どころか単純な愛だ約束だなどのことも発達しないまま大きくなってしまったのは、そこらへんに溢れかえってている。
 雨月物語だとか葉隠れだとかをかじって、朧気ながら約束ということの意味することを感じたのは、われわれの年代だと中学校の高学年から高校にかけてくらいだったかのように思う。
 なにもかもをいちいち教わったわけではないが、下地となる教育や情操は、学校に上がる前の家庭や地域社会に有って、その類推で判断して自分で育ってきた部分が多かったのではなかろうか。
 「そういうことをすると恥ずかしいでしょう。」と言われると、なぜ恥ずかしいのかという説明なんかなくても以後気をつけるようになったし、それは人が見ている見ていないに拘わらず自らを律する基ともなった。
 今、1日に100通を越える迷惑メールが届きます。誰だか解らなければなにをやってもいいんだという卑しい行為に歯止めがかからないというのは、日常茶飯見かけることではありますが、どこに原因があるんでしょう。
「おてんとうさまはお見通しだ。」って教えておくことだけだって効果があると思うけど。
 私は、性善説を信ずる者です。皆が良いものをもっているのに覆いを被せてしまっては勿体無いと、つねずね思っています。

いみじゅうちさきちごの
あてなるもの いみじゅうちさき稚児の 苺くひたる

 公園を散歩の途中、池に張り出した東屋で小憩をとることにし、ベンチに腰掛けるのと前後するくらいに、幼い姉弟がおばあちゃんらしき婦人と一緒にその東屋にはいってきました。
 家内が持参の携帯用ポットでお湯を注ぎ、コーヒーを紙コップにドリップさせようとしていたときのことです。
「私のどが乾いたから、なにか飲むー。」といいながら、肩にかけていた小さなバッグをおろしジュースを取り出したおねーちゃんの横にちょこんと腰掛けた弟も、同じ柄のバッグを開いてスナック菓子の箱をあけ、中から小さなお菓子を指につまんだ。
 食べるのかと思ったら、とことこと私のそばに寄って来て、手のひらに握った小さな魚のかたちをしたクラッカーを差し出した。くれるという。
「ありがとネ。でもおじちゃん(おじいちゃんとは決していわない。)はいいから、ぼく食べなさい。」というと、連れのおばあちゃんも「大人はたべないのよ。」なんてフォローした。
 そのクラッカーは、あっというまに子供の口の中に消えた。
 それを見ていた家内が、キャリーザックの中からチョコレートを取り出し、二つに分けて姉弟に「じゃぁおばちゃんからは、これをあげるネ。」と手渡した。
「ありがとう。」「ありがとう。」と口々にお行儀良くあいさつもできました。

 「一緒に鯉に餌をあげよう!」と、持って来たビスケットを渡すと、毀して半分くらいは鯉に与えていたが、残りは自分で食べてしまった。
 まあ、そもそも人間様の食べるものだから大丈夫だけど・・・
 バイバイと手を振って帰っていく姿がかわいかった。日本の将来は明るい。

えびたい
 かなりむかしの一時期、たいつり草とコマクサを混同してたことがありまして、話しが変だな~という場面がときどきありました。

 道路沿いの歩道の植え込みにニセジャスミンの花が咲きました。
 でも、なんでニセなんて剥きつけの名前をつけちゃったんだろネ。ジャスミンもどきとか、もうちょっと婉曲的に言ったほうが風情があるのではなかろうか。
 差別語だなんて難癖つけられてる言葉にも、どう考えても普通名詞で、なんでなんだか意味がわからないのがあるけれど、そもそもの命名のときのことについての疑問です。

 そういえば、その"命"っていう字を分解すれば、人は一度は叩かれるっていうことになってるって字なんだとか。
 でも、叩かれたって強く雄雄しく育つんだから、エライじゃありませんか。

コマクサ
komakusa5

ああ愚や愚や
 難儀をいかにせん。(ああ虞や虞や、汝をいかにせん・・四面楚歌)

 出先から帰ってきた社員がしきりに感心しているから「どうしたの?」と聞いてみたところ、
「捨てる気持ちを捨てなさい!」という張り紙がされていたのだと言う。
なんのことかわからなかったので、「それ、なんのこと?」と改めて尋ねたところ、
ルールもマナーもあったもんじゃなくて、ゴミ捨て場でもないのに不法にゴミが捨てられてしまう所があるのだという。そこを通る度に困ったもんだと思っていたところ、上記の張り紙がされたんだと。
誰が書いたのかわからないけど「うまいもんだ。」と思うと言うのでありました。

change(おつり)
 昨日の帰り、駅の売店で雑誌を買いました。
 表紙に値段が大きく書いてありましたので、「はい、三百五十万円ね。」と5百円硬貨を差し出したところ、「はい、こまかいお釣ね。」と言っておばちゃんが百五十円返してくれました。
「おおきいこと言って、お釣りをもらってちゃだめだね。」と言いながらつり銭を受け取ると、そのおばちゃん大笑いしてた。
「つりはいらん。とっとけ!」な~んて気前のいいこと言えるようでなくっちゃね。
なんですと?百五十円くらいじゃ気前がいいなんてことは言えないって?

 ときどきは笑って、気持ちのお掃除をするのもよい。

うんこずわり
 会社近くに、県立高校の生徒さんが自発的に、ときどき歩道のごみを拾い集めて綺麗にしている通りがあります。
 その少し先にそれとは別に専門学校としての語学学校があります。休憩時間ともなるとぞろぞろ外に出てきて、通行人の迷惑なんのその、うんこずわりになって屯し、タバコを吸いまくるのであります。
 ゴミは、勿論投げ捨てです。学校の教職員はそれを知ってか知らずか(多分知っている)、「通行人の邪魔にならないようにしなさい。」なんて注意をしているのを目にしたことは一度たりともありません。
 女生徒の方が割合としては多いので、鼻から煙を吐くさまが特に異様さを際立たせているのです。

 私の偏見かも知れませんが、タバコを吸っている姿が様になっている女性はまず居なくて、100人いればその99人は、下品としか言いようのない仕種をしているから、情けなさがいやますのであります。

 その道を更に進むと、車が頻繁に通る道路につながるのですが、あろうことかその車道をのろのろ歩いて一向に憚らない命知らずの通行人がかなりの数でいるのです。
 大抵は年配の人であるからより始末が悪いのです。

 ピアニストをしている息子が、昨年リサイタルのために帰国していた11月のこと、75周年の記念事業を兼ねた小学校のレクチャーコンサートに行って帰ってきての話しに、みんないい子で可愛いいったらなくて、二百人ほどいた生徒のほぼ全員と握手してきたという。
 ああいう子たちがいるから、日本の将来は明るいと笑っていたのを思い出す。
 手が命みたいな仕事をしているから、握手することには慎重な(強く握られて手を傷めてしまう可能性があるので)のにもかかわらず、寄って来る子供達と言葉を交わしながらの握手はとても楽しかったらしい。
 (今年は、10月に会場でのコンサートが予定されている。)

 こういういい子達が年を重ねるに従い、マナーに反して平気という振る舞いをするようになっていってしまうとしたら、それはどこに問題があるのでしょう?
一人ひとりのときは、とても良い子が多いのに。
 教養を積むことで徳目が高くなり、より素晴らしい人格が形成され、それが広く行われるということでなくてどうするというのか。
 なに?まず隗より始めよですと?

夏が来れば思い出す
オーストリアのノイシュテフトの馴染みのホテルを基点として、チロルの山に登ったりトレッキングコースを歩いたりして、昨年は1週間で5㎏体重を落とすことができた。
 2000メートルくらいまではリフトで簡単に行けるので、その日の体調に合わせコースを決める。
 そこは、高山植物の宝庫。エーデルワイス・エンツィアン・ドイツエンツィアンなど沢山見られるのだが、それらはいずれも絶滅危惧種になっているのだとか。

ドイツエンツィアン
deutsenttwian

いんでん
 印度伝来の技術で鹿皮に漆塗りの細工を施し、財布・バッグ・名刺入れ・印鑑ケースなどの製品となっている。使えば使うほど風合いが増して、これは一生ものの持ち物となるらしい。
 昨年末の忘年会バス旅行のとき訪ねた武田神社の前に印伝屋さんがあって、同行者が土産を購っているのにつきあって私もひとつ手にいれました。
 蜻蛉の模様がついていました。「おおっ、アキツだ。」と言うと、店の女主人曰く「かちむし」とも言うんです、とのこと。「どうして?」と尋ねたところ、「トンボは決して後ろにさがらないから。」と教えてくれました。
 アキツといえばトンボのことだけれど、アキツシマと言えば日本の異称。大昔にはトンボが多かったのかしらね。
 美しい言葉というかどうか知りませんが、日本にはいろんな呼び方がありますよね。
しきしま・やまと・ふそう・おおやしま・あきつしま・etc.etc.

大きければ別だが
 パワースポットに出かけて、そこで掌に金粉が出たのだと得意になってる人がいた。
 金粉ショーというほどまでに金粉が出れば、それはまた素晴らしいこと。集めて金塊にしたりしてネ。
 ただ、手のひらに金粉が出るというくらいなら、さほど珍しいことではない。
一時期(最近そういうことを言わないので)のウチの家内なども、手のひら全面がキラキラするほど出まして、近所の多くの人が知っています。
かくいう私だって、自分の手のひらにいくつかなら出た経験があります。
けっこう気がつかないだけで、誰にだって出てるときがあるんだと思います。

 で、こっからが大事なことで、金粉が出ればどうなんだってことなんですが、なにか特殊な能力があるように思われがちでも、それが世の為人の為になるんでなければ、たいしたことではないんじゃないかしらっていうのが家内の意見です。
そう言うようになってから、金粉のことを口にすることはなくなりましたが、今もときどき出るみたいです。
多分誰だって、目立つ目立たないの差くらいはあってもででてるんじゃ・・・)

如かず
 イケズじゃなくってシカズでございます。

 アラブの諺に「男が川なら女は水たまり」ってのがありまして、みんなでああじゃないかこうじゃないかとやりましたが、意味の結論はでませんでした。

 諺っていえば、 “鵠”ってのは一体なんだってことなんだけど、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」なんてのもあるから、でかい鳥だってことはおわかりかと。

 大体が、漢字で書く鳥の名はムズイ。
子規がホトトギスで、啄木はキツツキ、閑古鳥が郭公だってのは、前に書いた。

 話しを戻して鵠(コク コウ グイ)。
これは白鳥の古名ってことになってる。
 ついでのついで。鴻ってのは鴻巣なんて地名もあるから知ってるようでいて、実は知らない。大雁、ヒシクイの別名なんだという。昔習った筈なんだけど覚えてなかった。

 ついでのついでのついで。じゃあ「水馬」ってのは何だ?ってのがシクダイ。
 鳥の話しをしてたけど、これは鳥じゃぁない。まあ空は飛ぶけどネ。
 最近みかけなくなった。(答:水溜りに来る昆虫アメンボ)

日はめぐり
 混雑した中でも、乳母車が来れば思わず道を譲ってしまいます。この間は、とても疲れていたのでしませんでしたが、階段では、居合わせればたいていの場合、乳母車の片方を“つって”あげるようにしています。
 「おそれいります。」とか、「ありがとうございます。」と言うお母さんが7割くらい、2割くらいが変なおじさんを見るような顔をしたり或いは警戒するような顔だったりします。
 そして残りの1割くらいからは、余計な手出しをするなと言わんばかりに断られます。
 そんなわけで、たとえ善意であろうと何かしてあげるのには勇気がいります。

 子供は、ある程度育つと、一人で大きくなったような顔をするようになりますが(自分自身もそうだったと思うから子供にはいえません。)、子供を育てているときの親ってのは凄いものがあると思います。
 ましてそれが母親だということになると、これは凄すぎる。勝負にならないから、ただ頭をさげるよりない。あんたがいちば~ん わたしが~にばん

駒隙を嘆く
風邪を引いたらしく咳が止まらないのを放置していたら、声が全く出なくなってしまった。
仕方がないから医者にいくことにしたのだが、待合室が混雑していて大分待たされた。
よんどころなくラックにあった漢詩の本を開いて読むともなく読んでいたら、嘆駒隙(クゲキをなげく)なんて文が出ていた。
駒隙とは、月日が早く流れ過ぎること。

先日の古希の会に集まった面々は、生きてくるのに一所懸命で、クゲキなんてこととは程遠い
経験をしてきたらしい様子が諸処に見て取れた。
70年を生き延びた人は、90歳以上まで生きるらしいから、この先20年をどうするかということになる。
20年あれば、かなりなことを成し遂げられる筈だから疎かにはできない。
気持ちはあっても体力とは相談しなくてはならないが、真剣に考えてみる必要がありそうです。
冷や水にならないように、知恵を使ってネ。

かがち
「かがち」とは、ホウズキの古名。
 目は赤カガチのようだと表現されたのは、ご存知八岐大蛇。
漢字で書くと、酸漿(ほうずき)。夏には赤い袋状の実をつける。

そもそも、カガチとはヘビのこと。山野には、マムシの200倍もの毒があるというアカカガチというのがいる。
子供の頃、このヘビには毒がないと聞かされていたが、どうもとんでもない間違いであった。
幸い、すぐ逃げてしまうヘビであったので、咬まれずにすんだ。

たんそく
 豚足ではありません。
 まあ、ソレに近いくらい短足ではありましたけどね。
嘆息したのであります。
 けさっぱら、電車の隣の席に乗り込んできた初老のおばちゃんが、座るなり短い足を組んだのであります。ことの当然、その足は私の脚を蹴飛ばしたわけであります。

 犬の糞かなんぞをどこかで踏んでいるかも知れない靴なのに、神経がかなり鈍いのか素知らぬ顔をしたまま携帯メールかなんかをしているから、
「混んでいる車内で脚を組むのはやめたら?それに、人の脚を蹴飛ばしたらごめんなさいでしょ!」と、教育的指導をしたわけであります。

 こんなのにかぎってよそでは偉そうに躾がどうだのマナーがどうなのとほざいてるにちがいないから、たまには薬になるだろうということで注意したわけでありました。

 つける薬がない類なのかと思ったら以外にも「ごめんなさい。」と素直に謝った。
 途中の駅でおりていくときにも、「先ほどは大変失礼致しました。」と、いやに慇懃に挨拶したから、真意が奈辺にあるかはしらないが、形は整ったということでありました。
 やればできるんじゃん。

薬草
 フウロなんてシャレタ名前でよぶとわかりにくいのかもしれませんが、薬草として採取した覚えなら有る人が多いのでは・・・。
gennosyouko

 そのナを呼んで、ゲンノショウコ。(茎が地を這うのと、ちょっと長いけれど、フウロの仲間)
そのほかにも、ドクダミ・センブリ・チドメグサなどなど、夏休み中の宿題として乾燥したもの一籠分くらいの分量を採取して提出するよう求められた。(中学校時代)
 なにかの費用にあてるのだとか言われたが、それがなんだったかの記憶はない。

 コドモの頃に覚えたものというのはスゴイ。
 芽吹いた頃のトリカブト、ハシリドコロ、ドクゼリ等などと、意識もしないで区別できた。
だから、山菜やキノコ狩りも普通にやったが、今それをしようと思っても、多少勇気がいる。

感心したジョシ
 女子ではなくて助詞のことです。

 編集の仕事をしている友人が、いう。
 てのひら「に」はかるのは、量るで、てのひら「で」はかるのは、測る、計る、なんだと。

しからば、こころ「に」はかるのはなんでありましょう。
 計る・図る・企る・測る・量る・諮る・謀る、なんでもありのように思えます。

格助詞?「に」は、ものの場所や動きの到達点または空間の位置を表す(ほかにもあったっけ?)のだったと思いますが、
「で」は、手段を現すのでしたかね?朱弾(赤球)が出ちゃまずいかもしれませんが・・・

ホルンダー
 ホルンダーとは、西洋ニワトコのこと。
 白い花を摘んでシロップにしたものが売られている。

ホルンダーの葉が大分大きくはなったが、今年はまだ花が咲く程には育つに至っていないので、花の写真は撮れなかった。
昨年、プラハで花が咲いた後に実がなっているところの写真を撮ることができました。
holunder1
horunder645

やあた
 三本足のカラス八咫烏(ヤタガラス)で思い出したのですが、三種の神器というのがありまして、そこにも八咫というのがでてきます。
八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という難しい字があてられていて、にわかにはそれがどんなものか想像できませんが、だからこそ神器なのかも知れません。

 「タ」または「アタ」というのは大きさの単位で、咫は大きいことを表すんだそうですが、どんなくらいの大きさをいうんでしょうね。
 勾玉は、航海のときにつかわれたというのを聞いたことがありますが、どんなふうに使われたんでしょう。
 わからないことって多い。

めしい
 いくら食いしん坊だからって、飯飯なのではありませんぜ。
 “めしい”ってのは差別語じゃないと思うんだけど、漢字変換しません。
 今日の夕方、突然視界がぼやけて、書類の文字がところどころしか見えなくなってしまいました。逆の言い方をすれば、ところどころは見えるということです。
 よく働いたからな~。
 なに?ウソだろうって?いや、それがホントのはなし。
 社員が、「車で送りましょうか?」と心配してくれたが、「だいじょうぶだいじょうぶ。」といって、鉄の車が沢山ついてるのに乗り、手探りで家に帰ってきました。
 すこし目を休めたら、字が見えるようになったから、懲りずにPCに向かったところです。

山吹の実
実の4粒ほど有るぞ嬉しき

太田道灌の故事にある「実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき」で有名なヤマブキは、立派に実ができる。
実ができなければ増えない。(実がなくても増えるものがなくはないが)
yamabuki2471

このヤマブキの実は、段々黒くなっていきます。

君子豹変す
先日の書き込みに質問がありましたので、少し補足します。
君子とは、立派な人徳やすぐれた知識・教養を身につけた理想的な 人ということであろうが、
君子危うきに近寄らずということの使い方として、危険なことを避けるときの臆病さの言い訳としていることが多いようですが、
 君子というのは徳に欠けるような行いに加担するようなことや、明らかに危険とわかることには敢えて近づかないようにするということが、君子危うきに近寄らずということのそもそもの意味であると思います。

 しかし、最近は君子とも思えないひとが豹変する事例の方が多いように思います。
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