旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

神の手?
 イタリアンパセリに産み付けられた卵から孵ったキアゲハの幼虫が、そこにあった葉っぱを食べ尽くしてしまい、殆ど動けない状態になっていました。
 小鳥に啄まれることを逃れ、ようやくここまで育ったのに、力つきようとしていたのです。
 自然の営みに人の力を加えるのはいかがかと思わなくはなかったのですが、鉢植えに残っていた葉っぱに移してやろうとしたのに、黄色い角から異臭を吐き出して必死に抵抗するので「これこれ神様が助けてやれと言っているのだぞ。」と言い聞かせるとおとなしくなりました。
 それから餌をもりもり食べて何日かしたところの写真です。
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 この3日後に、自分で移動していきました。蛹になろうとする行動です。
 無事に蛹になり蟻に襲われることなく羽化してくれるといいのですが、ここから先は神のみぞ知るということになります。

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三大弁財天
 「神いつくしま」が竹生島の語源なのだと、現地ボランティアガイドが神社前で説明してくれました。
 厳島神社・江の島・竹生島に祀られている弁財天が、三大弁財天と呼ばれているのだとも。

 そうだとすれば、これで全部お参りしたことになると言ったところ、ここはパワースポットとして名高いところだから、良かったですねと喜んでくれた。

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筋違い
 道理に合わないことを筋違いといいますが、これは道路が直角にではなく斜めに交わっていることで筋違いの道と呼ばれる。
 滋賀県でみかけたが、こういう形の交差点は少なくなってきている。


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花頭窓
 石山寺に、ここで紫式部が源氏物語の構想を練ったという小さな部屋があって花頭窓から境内が望めるようになっている。
 この時代より新しくなると、窓の下部がだんだんに狭まったものになるのだとか。
 火炎の形でもあることから火灯窓ともいうが、木造建築は火を嫌うこともあって、花頭窓といわれるようになったらしい。

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イノメ(猪の目)
 日本の神社仏閣に、ハート模様が刻まれているのを目にすることがある。
 先日訪ねた三井寺の釘隠しの金具にもハート模様の透かし彫りが施されていた。
これは、ハートということではなくて「猪の目」と言い、火伏の意味を持つのだとか。
西洋ではハートをデザインした模様を良く見かけるが、それとは意味が違うみたいです。
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自分が決めた通りになる
 琵琶湖の外周275㎞の約半分を廻り、三井寺・石山寺・日吉大社・竹生島を訪ねた。
ガイドさんにも恵まれ、暑い中ではあったが楽しい旅となった。
 問わず語りに彼が言うのに、10年ほど前に脳梗塞で倒れ3年余りの闘病生活をしたが、こうして元気になったと聞き、同行者全員が喝采した。
 医者は、奇跡だと言っているらしい。車椅子で一生過ごすことになるであろう予測に耐えられず妻も去ったのだとか。
 絶対立ち直るのだと意を決して辛いリハビリに励み、車椅子から両松葉杖、片方だけの松葉づえへと回復し、歩くことができるようになったときの嬉しさも話してくれた。
 身障者の証書も全て返納し、こうして働けることを感謝しているとも。

 神社巡りをしていたことからご利益の話題になったとき、私が友人知人の病気見舞いに行くときに重病患者に必ずいう言葉「人間は、自分が決めた通りのものになるのだから、絶対言ってはならない言葉がある。それは、俺はもう駄目だという言葉。口に出したら、それは自分が決めたのだから必ずそうなってしまう。口が裂けても言わないように。」と見舞い代わりに励ますのだと話したのを聞いて、ガイドさんが「そうです。」と自分の体験を話してくれたのでした。


ショパン

彼のピアノは、ピアノの音とはこうだったのかと、心をゆさぶられます。

彼が日本で年1回秋のリサイタルを催すようになって10年を越えました。

王子ホールでの開催は、今年で連続5回目となります。

昨年好評だった「ちょっと物知りになれるコンサート」の第2弾となります。

http://www.hito-takeuchi.com

詳細は、ページを開いて左側にあるコンサートのボタンをクリックして下さい。heart2-1


雨にもまけず
つまらないから、争いごとはしない。

東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ ワタシハナリタイ

余りに有名な詩の一部であるが、今までずっと「日照りのときは涙を流し・・・」だと思っていました。
未発表であり後で見つかった、手帳に書かれた原稿は、「ヒドリ」となっているのだとか。
日照りというのは、東北にはないらしいので、解釈にいくつかの説があるらしい。

日照り  デがドになまった。
一人   トがドになまった。
日どり  日当かせぎ
日取り  農作業の結の順番決め

原稿は、自分の手元を離れるといろんなとりかたをされる。
ケフは、ながくなってシマヒました。

なんかね~
「先人に釣り」
終戦記念日に陛下が追悼のお言葉をのべられているTV画像のテロップに映し出され、一瞬何だかわからなかった。
後で「戦陣に散り」と訂正はされたが、なんかね~。

ノケゾル
 最近、どこでアドレスを知ったんだか、どっかのPCにウイルスを感染させられたのか、わけのわからない卑歪卑猥、疲れるわいというメールが何十通もくる。

 いわゆる出会い系の類らしいのだけれど、今までにこの手のものに近づいたことはない。

 手を変え文言を変え名前を変え、お誘いを受けるのだが、そんなんを開く勇気はとてもありません。

 とうとう、「あなたのセイシがほしいのです。」なんてことを書いてきたからのけぞった。
 書かれていた漢字は、生きる死ぬのセイシではありませんぞ。
 な~に考えてんだか。
 バカいってんじゃないのっ!しまいにゃおじさん怒るぞ。

やきゅう稲荷

 「近くにヤキュウ稲荷があります。」カーナビがそう告げた。

 

「えっ!お参りすると野球がうまくなるオイナリさんなんてのがあるのか?」と思って文字を見ると、センキュウ稲荷となっていた。

 選球ではない。さあお立会い。どんな漢字が書いてあったかワッカルかな~。

 勿体ぶっていないで書いてしまうと、箭弓稲荷であり、信号機の下のローマ字表示は、yakyu-inariとなっておりました。

 ネットには、こんな具合に出ていました。

http://shrine-temple.jp/724488 


まだまだ大丈夫
 少し混み始めた朝の西武新宿線の車内に、両耳には大きなヘッドフォンを、片手には缶コーヒーを持ったネーチャンが座席に座っておりました。
 目を閉じていた件のネーチャンが突然目線をあげたとみるや急に立ち上がると、前に立っていたご婦人が「すいません。」といってその席に座りました。
 そのネーチャンは、次の駅で降りる様子でもないので、どうしたことだったんだろうと、見るとも無く座った方のご婦人を見やると、お腹が少し膨らんでいるようでした。
 ちょっとイカレタ格好のネーチャンだったけど、いいとこあるじゃん。
 ネーチャンなんて言わないで、ご婦人と呼ぼう。
 それに引き換え、何日かまえ、立っていた私の前の席に横は入りして、座るやいなや狸寝入りを始めた狸によく似た若いネーチャンはなんだ!
 夜遊びがすぎたのか、夜行性の狸は明るくなったら塒に帰るのか、どっちだか知らぬが、親狸の顔を見てみたいってんだ。
 道徳教育は、ぜったい必要ですぜ。

はーん
 アッハ~ンといろっぽい声をあげるほうの話しじゃなくて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のハーン。

 耳無芳一ってほど大袈裟な話ではないけれど、かなり前になるが、耳が痒かったので掻いていたところ、そこに傷がついたらしい。
 その場所がだんだん出っぱってきて、日を追うごとに大きくなる。
格闘家がよくなるカリフラワーなんとかの小さなものかと思って放っておいたのだが、見場がわるいから倅が帰国して来る前にナントカして頂戴、と内のカミ様からのキツイお達しがあった。
 やむなくシブシブ医者に行った。

 たいそう流行っている医者らしく順番待ちが沢山いたので、予約してから改めて出なおした。
 「どうしました?」って優しそうな先生が聞くからそこを見せると、嬉しそうに「ああ、これネ、電気メスで取っちゃいましょう。」とあっさり言い放たれた。
 ついでだから、顔にできたイボみたいなのも見せて「床屋かなんかで伝染ったらしいんですけど。」というと、「ああ、これは老化現象です。これは伝染りません。」いともあっさり老化だとのお告げが降されました。

「じゃあこれも一緒に取っちゃいましょう。」と爽やかな声でいうから、「宜しくお願いします。」と丁重に頼んだ。少しだけ熱痛くて、少しだけ焦げ臭かった。
 素直なよい患者さんだったので、看護婦(いまは士っていわないといけないんだっけ)さんも皆親切でした。
 そんなわけで、芳一のように耳はとられることなくすみました。
 大袈裟なこと言うなって?

漢字辞典
 雑誌の拾い読みで、べんきょうをしました。
「戦」の字を“そよぐ”と訓へし先人よ 開戦前の風項(くび)に鋭し(矢部雅之)

これを作家の関川夏央氏が辞書をひきながら読み方の解説をしている文章を読んでです。

私は、戦を“そよぐ”なんて読んだことはなかったし、項を“くび”なんて読んだことも勿論なかった。
せいぜいが訓示からの類推で、訓を“おしえ”とは読めるくらいでした。

ではお立会い。「鋭し」はなんと読むか?
思えばいと疾し この年月・・・(仰げば尊しの歌詞)に出てくる「疾し」と同じく “とし”と読むのだそうです。

 これで歌の口調がよくなって、“ほっと”するわけです。
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