旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

挨拶から始まる
挨拶を辞書で引くと、
挨拶の「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと。と出ています。
「あい」には、心を開く、「さつ」には、その心に近づくという意味もあるのだとか。

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」
こんな基本的で簡単な挨拶をすることは、人間関係では当たり前のことだと思うのですが、それがそうでもないらしいのです。

会社や近所や知り合いなど、基盤を同じにしているところはまだしも、面識があっても生活に関わりがないとなると、すれ違っても知らん顔で通り過ぎるということが珍しくもなくなりました。
「知らない人から声をかけられても、相手をしては駄目よ。」と言って育てられた、安心できない社会が現実としてあるから仕方ないのかもしれませんが、他人から信用される第一歩は、挨拶ができるかどうかだという現実も一方にあることを思うと、人としての広がりを安全に保てる社会をどうしたら良いものかと考えてしまうのです。

私の住むマンションでは、エントランスや駐車場で顔を合わせても、殆どの人たちは挨拶を交わしません。私の方から挨拶しても、何人かを除いて、不思議そうな顔をしてソッポを向く人さえいます。
殺伐とした世の中は、こんなところから始まるのかも知れません。

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家族の役割分担
私が育ったころは戦後まもなくで、どこの家も子供が多くさして裕福ではないのが普通でした。
家族がお互いを思いやり助け合って仲良く暮らしているのが伝わってくるような時代でした。

小さな子供でも、家でのできる仕事を分担して、それをすることに疑問も違和感も不満もなく、喜んで手伝っていたものです。
庭先を掃く・風呂の水汲みをする・ヤギやウサギの餌になる草を土手で刈り取ってくる・夜になったら雨戸を閉めるなどなど、できることは言われなくても進んでやりました。
そんなところから、思いやりの気持ちや絆が深まったのだと思います。

そんなの自分の仕事じゃないと、自分の都合ばかりを主張し、自分はまわりから何をやってもらっても当たり前だとしていたら、感謝するという言葉すらなくなってしまいそうです。


カワウが増えると
 どこかの川には、カワウが群れをなしてるとか。カワウは川魚を大量に食べてしまうので、なかなか大変なのだと聞きました。

 どこの海岸の崖の上だったか、歩くのもやっとのような所にヨシズかなんかで囲いをし、そこに人が潜んで、海鵜が岩にとまるとヨシズの隙間から足を捕まえて獲っている所があありました。(今その崖は崩れてしまって、使われていないらしい。)

 海鵜を捕まえて何をするかというと、訓練して鵜飼用の鵜にする。
捉まるとその鵜の行く末は、あわれ喉を紐で縛られ、鮎をとっても飲み込むこともままならぬ鵜飼をさせられるということになるのです。
長良川が有名ですが、ほかの川でもやっているところがあるのだとか。

 縛るといえば、本当か嘘かなんでなのか知らないけれど、忍者を捕らえたら、カワウならぬカワウソの皮ひもで縛らないと縄抜けをされてしまうから駄目なんだといいます。
その昔、猿飛佐助だの霧隠才三だのに夢中だった頃、遊び仲間の悪がきがいっていた。
その頃は、そうなんだと信じていました。


トイレの神様
烏彗沙摩明王
お寺のトイレを借りると、ウズサマミョウオウのお札が貼られていることがあります。
この明王さまは、不浄なものを浄化してきれいにするといわれる仏教の神様です。
おトイレの臭穢(しゅうえ)を払うことを司るのだそうです。

トイレに入るとき黙ったまま入ると、この神様がお怒りになるので、軽く咳払いをしたり、指を鳴らしてから入るようにします。

使用後、トイレの蓋を開けっ放しにしておくのは、運が逃げるといわれよくありません。
本日は、トイレのお作法のお話でした。

トイレは、汚した人がその場で綺麗にしておきましょうネ。


ツレと仕返し
 鶴の恩返しなら、とてもよいおはなしなんですけど・・・。

 電車内でマナーを注意されたのを恨んで、陰湿なシカエシをする女性がいるらしい。
オンナのうらみいちばんコワイ。

教育的指導をしたことのある人は、混雑した車内では十分注意して下され。
なにをかって?別段殴りかかってくるなんてことはないけれど、"ツル"んでチカンの冤罪をかけられる可能性があるかもしれないってこと。
「わたし、このおじさんに胸をさわられました。」なかまが、「わたし、見てました。このおじさんです。」っていう一昔まえでは考えられないような悪質な手口。
本当の痴漢行為があったのなら、それは取り締まられて当然と思うが・・・

君子危うきに近寄らず、なんてことで公共の場所でのマナー違反から目を逸らしていると、だんだんその手の問題が蔓延るようになる。
なんとかとなんとかは怒しがたしっていうじゃん。なに?"ど"がちがうって?

ほんと、だれが悪いんだか、なさけない時代になっちゃった。な~に教えてるんだか教わってんだか・・。
 最近の大人は勇気ないもんね。


君子危うきに近寄らず
 君子は、危ないことをしない。という意味ではない。
 君子たる者は、危ないとわかっているところに好んでわざわざ近寄るようなことをしない、という意味である。

 刑場に曳かれて行く石田光成に、警護の武士が道端になっていた柿の実をとって差し出したところ、柿は身体を冷やすからいらないと断った話しは有名である。
 もうすぐ死ぬ身にしてこの覚悟。プロとしかいいようがない。

 野球のピッチャーは利き腕で重い物を決して持たないし、常に肩を冷やさない努力をしている。
 ピアニストは余り握手ということををしないし、かりに握手するとしても強く握り合うことはしない。

 人間楽器ともいうべき、ソプラノ歌手であり前にこのページに書いたこともあるエディタ・グルベローバは、夏になってクーラーが要る季節になると避暑地に出かけるのだとか。
 クーラーが喉によくないからというのであるが、それでこそあの余裕のあるピアニッシモの声が出せるのだと納得させられる。

 縁あって知り合いとなったドイツ在住のテノール歌手が、北海道公演の折に風邪を引いてしまい、すぐ後の東京公演の時に本来の声がでなかったのがプロとして恥ずかしいといって翌年再来日し、前年の来場者全員を無料招待してくれた。自己責任だという。

 仕事に差し障りがあるとなれば、どんなにやりたいことであってもそれを避ける。
 プロというのは、人に見えないところであっても身体を自己コントロールしたり、道具を整えたり、必要と思ったことを地道に鍛え上げたりしているのだとおもう。
 水鳥は優雅に見えるが、実は水面下で必死に水掻きをしていると言われる通り、他人に見えないところで努力していることを見落とすことはできない。


何と言ったらよいものか
 「わがみにかえても」という気持ちを、例えば親であってもすることが少ないご時世と成り果てては、このような情愛が導き出すであろう世の中が現れることは段々になくなっていってしまうのでは・・・。
 我が子にでもそうなんだから、国民や国の将来のためになんてことも考えなくなってきてしまっているのかも知れない。
 自分の都合が、もっと極端にいえば、自分勝手な感情が何にも増して優先し、またそれを個性として助長してきた中で育ったら、相手をおもいやるなんてことは程遠い。

 うわっつらの、言葉での"やさしさ"なんてのを声高に言い募るばかりで、身をもって教え導く大人が少なくなってしまったのはなぜなんだろう。
 幼い子供の言動に、優しさをみることが多いのに、いつそれが失せてしまうのだろう。

 お祖父ちゃんが、変なご飯の食べ方をしていた孫に食べ方のお作法を教えたら、「余計なことをしないで下さい。」と母親から文句を言われたんだと。
 そうです。ご飯のお茶碗は左で、お吸い物のお椀は右なのです。
それはどちらにあっても大した違いじゃないじゃないか、なんてことで見過ごしてはならないものが多くあるのです。
 そういう小さなことが、社会に出たときにお互いの関係を滑らかにするルールなのだと思います。

 きのうの夕暮れ時、補助輪のついた自転車にのった女の子を、母親が感情的に口汚く叱責しながら一緒に歩いておりました。
 何を怒っていたかというと、少し先の交差点を渡る都合上、道の右側を進めと母親が言うのに、女の子が交通法規を守って左側を行こうとするのが気に入らなかったらしい。
 よっぽど注意してやろうかと思ったけれど、後で女の子に八つ当たりするに決まっていそうだったのでやめておいた。母親だけだったらそうはいかないけれど。

 

ホタルブクロ
 ちょっと時季外れですが、夏の山野草にホタルブクロというのがあります。
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うまい名前がついてるもんですね~。このところ、ネット上でいろいろ勉強になる話を聞くことがが多い。
 雄蕊雌蕊、セミへの語変換、虹、蜂の天敵、なかなか教えてくれるところはないから嬉しい。

嬉しいって言えば、旨い汁っていうのを吸えたらそうなのかも。吸うものにはよいものが多い。
チチ、ミツ、ウマイシル、なかにゃ生き血なんてこわいのもあるけど・・・

そこへいくと、のむっていうのにはいろいろ問題含みなものがある。
のむうつかう、でいうところの般若湯、苦汁、青汁(う~マズイッ)、煮え湯、などなど。
健康の為には必要なものもありますだって?そりゃそうでしょう。
私だって実のところ、飲むのも吸うのも舐めるのもみんなすきなんですから。


ことばづかい
 最近はどこに行っても同じ言葉づかいがなされている。方言を聞くことが少ない。
とんでもない言い回しもあるけれど、大体が標準語であり、お土産と一緒で、どこへいってもそう変わりがない。

 わが南信でも、第二のふるさとのお江戸でも、ちょっと旧家でつかわれる正調お国言葉をときに耳にすると、「美しい言葉には美しい魂が宿るのかな。」なんて思うくらいのものに方言は聞かれなくなってしいました。

 ことばが精神をつくる。
 外国語の前に、正しい日本語をまなびませふね。
 前に、車に乗ってるときに聞いたラジオでのはなし。
概要はこうである。
 フェラガモの靴を買いに行ったんだと。けっこう高かったんだけれど「これにします。」と決め、店員に包んで貰っていると、「おつかいものですか?熨斗はどうしましょう?」と聞かれたんだっていう。
(おいおい、さっき足に合わせて選んで決めたときの係りはあんただろう。自分が履くのに決まってるじゃん。)
 ようするに、マニュアルに沿ってしかしゃべれないのでは、言葉とはいえない。


どっちなの?
 ダッジかダッチかということなんだけど、
 スペルは、a Dutchoven ですから、多分"チ"が正しいんではないかと。

 どっちなんだろうって迷うのって、他にもたくさんあるんだよね。
コミニュケかコミュニケか、リクレーションかレクレーションか等々・・・。
 そうそう、ドッジボールかドッチボールかなんてのもある。

 まあどっちでもいいんだけど、ダッチオーブンという、このオーブンというか鍋は、ひとつあると便利です。
 但し、火を焚く場所は選ぶ必要があります。昔、高校同期のお花見登山で、山の上に陣取り鍋料理を作っていたら、物凄い形相をした他所のおばちゃんが怒鳴りこんできたっけ。「こんなところで火を使うとは何事よ!」

登山用の携帯燃料であったし、火を扱うマナーは心得たリーダーの下だっし、皆それぞれが登山経験豊かな集まりだったんだから、そんな顔しなくたってよかったんだけどね。
勿論、火気厳禁の場所ではなかったことは当然です。

幸楽(らーめんや)には、オニババがつきものなのです。(わたおに)

そろそろ焼き芋が美味しい季節。
ダッジオーブンでじっくり焼くと、どんな芋嫌いの人でも美味しいといって食べます。ちなみに、私もその一人ですが・・・


たんと(沢山)
 忘年会の季節になり、お酒を飲む機会が多くなります。

 ささ(酒)を"たんと"きこしめすことをながきにわたってくりかへすと、皮膚、とくに鼻の頭が赤くなります。これをサカヤケともうします。
勿論、そこだけ焼けるというわけではなくて、ひたいとひたいのうえ、頬などが猿のようになりまする。
 ゆくゆくは肝硬変などといふ恐ろしき病の原因ともなりかねませんので、ほどほどがよろしいようでございます。

 毛の生えている頭を剃ると、月代は青くなります。(なんでこれをサカヤキって読むんだろうね?)
 そのほかにサカムケというのがございまして、ムクと大抵のものは痛いのです。
 「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と申します。

 ほしのり にんじんたまごにみかん あおなのなかにも タントあるたんとある
ビタミンビタミンABC~  この歌がわかる人は、かなりの年です。(昔、ラジオからよく流れていました。)

なにがたんとあるかっていうと、ビタミンA 。
しからば、ビタミンBはなんにあるか? こんなん知ってるのは戦後間もなくの小学校に通った年代くらいかも知れません。  


シワがよる
 ほんとは皺なのに、昔のことだからと史話なんて。

 昔だって皺がよるほど激しかなかった。

で、よく思うのですが、「真実」と「事実」と「解釈」というのが、それこそ混然として使われ、ときによっては思い込みが信念とまでなっていて、改めて検証もしてみないで世に出ているものって多いのではないかと感じることがある。

 それが自分頭で考えたものでなく、思い入れや思惑、宣伝や教育などでそのまま刷り込まれてしまっていて疑ってもみなかったことが、いいもわるいも含めて「えっそうだったの?」となっているとしたら、オウムじゃないんだからと、改めて学びなおさねばならぬことの多いことに愕然とする。

 脳みそのシワも伸び加減になってるしするけど、こっちのシワはふやさねばならないと思うこのごろです。


エーデルワイス(夏の思い出)
 エーデルワイスの花を見に行くというツアーは沢山ありますが、帰って来た人たちに聞くと、
山で自然に咲いているのを見ることができなかったという人が多い。
 私は、息子がオーストリアに住んでいたこともあって何回か出かけたが、花を見に行って見られなかったことは一度もありません。

 夏、インスブルックからバスで小一時間ほどのところにあるノイシュテフトにホテルをとって、
1週間毎日、チロルの山々に登ったりトレッキングをしたりで楽しい時間を持ちました。
 コースが整備されているので、その日の気分で登山にしたりトレッキングにしたりを選べます。
2千数百メートルまでゴンドラやリフトで登ると、そこはもう別世界。
 高山植物の色鮮やかな花の向こうには、雪を頂いた3千メートル級の峰々が連なっています。

ヒットラーの要塞として有名な山、鷹巣城を眼下に見下ろすイエンナーの左の登り返しにある一際目立つ岩山シュナイプスタインも、登ると楽しい。
登山靴は必要ですが、登山まではどうもという人には、リフトを降りたところからの割と楽なトレッキングコースもあります。

 森林限界にあるハイマツを越えると、かなりな急勾配の岩道が続きます。
 この山にもエーデルワイスが咲くと案内書にあるが、なかなか目に入ってこない。
しばらく登って南斜面を探すと、ありましたありました。
 この花は、南斜面の岩場を探すのがコツです。一つ見つければ、後は次々目に入ってきます。
この花、危ないところに咲いているのほど綺麗なのが不思議です。
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 ドイツエンツィアンの紫色の花も、鮮やかでした。
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 イエンナーの山小屋に戻ったときは、花につられ余りに歩きすぎてもうへとへとでした。
 旅は、あなた任せではなく、ちょっと自分で踏み出してみることで、いろんな得難い気づきがあるものです。
 ツアーでなくとも自分で日程を組んだり、ホテルの予約をしたりというのも経験になります。


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宜しくはないのですが
電話が鳴ったので出てみると「AAさんでよろしかったでしょうか?」
こちらは受話器をとったときに「AAでございます。」とその時点ですでに名乗っているのにである。
聞きなれない声だし、どうもセールスらしいので、「よろしくはないけど、どちらにお掛けになったんですか?」と尋ねると、自らを名乗りもしないでクドクドと無遠慮に質問してくる。
「で、手短にいってご用件は何ですか?」「~~~~~」「そうですか、ご苦労様。その気はないので他所で頑張って頂戴ね。」
受話器の向うで話を引き伸ばそうとしている声がしているが、もう相手をしてはいられない。
AAのところに電話したのなら、「AAさんですか?」とか「AAさんでいらっしゃいますか?」
であって、「よろしかったでしょうか?」というのは何の許しを求めているんだかわからぬ。

 レジでも変な言葉遣いがされていることが多い。
「1000円からお預かりします。」とか「1000円からで宜しかったでしょうか?」などと聞かれる。
「1000円お預かりします。」か「1000円からで宜しいですか?」が日本語。

「れる」「られる」や尊敬語、謙譲語、丁寧語は、基本がわかればそんなに難しいことではないように思うのだけれどね。
若いうちに教養としてきちんと身につけましょうネ。
日本語は素晴らしい感性を育ててくれることばなんだから・・・


トイレの特殊洗浄とは
普段どんなに丁寧にお掃除をしているつもりでも、使用するにつれてトイレに匂いが篭るようになってしまうのは、仕方が無いことかも知れません。
いつも居る人はなれっこになっていて平気かもしれませんが、外から入って来る人はその匂いに反応して、その建物内の評価を全て下げて捉えかねません。商売をしていたら大変なマイナスとなります。

そこで、よせばいいのに芳香剤などを使って対応しようとした結果、臭いが混ざって逆効果となっているところが数多くあります。
一見きれいに見えても、臭いがあったら便器の中は汚れて、そこから臭いが出るのです。

トイレの特殊洗浄とは、臭いの原因となる尿石や、頑固にこびりついた水垢を除去するという、清掃というよりはリフォームに近い仕事です。
ビルメンテナンスの会社で、それをやっているところがありますが、少ないようです。
トイレは、大事な場所ですから気をつけることが必要です。


ものを習う姿勢・聴くマナー
ある研修会に参加してみました。
講師が一所懸命に講義をしているのですが、その声が聞こえないくらいの声で私語を交わしている人たちがいかに多かったことか。
研修に参加しているくらいなのだから、何か身に着けたいものがある筈なのに、聞く姿勢すらなく周りに迷惑をかけているとの認識もない。
話がしたいんだったら、外で思いっきりすればいいのに。
こんな輩に限って、それ知らない、聞いていない、教わっていないなどという。
いい大人なのに、義務教育の時期に学校でも家庭でも、物を教わるときのマナーを身に着けられなかった可哀そうな人たちなのだと思いつつも、それですまされていて良い筈がないのだと思えてならず、静かにして下さいと注意した。
ただ、これをすると逆恨みされて何をされるかわからないリスクがある。

ホールで催されるコンサートなどでも、このての輩はいる。
ヒゾヒソ話をする、咳やクシャミをかまわずする、鈴をつけた携帯電話を取り出す等々。
基本的なマナーが皆無では、一生のうちにどれ位のマイナスを蒙るかということを考えたら、疎かにはできないのだと思うのだが・・・
基本を身に着けるのは子供のうちであろうから、親や先生が教えておくことが大事だと思うのです。

気づいている人は多いと思うのですが・・・

三本締め・一本締め・チョン締め・万歳
ふるさと会に行ってきました。
閉会の辞の前に、かわるがわる締めや万歳がされたのですが、締めについて割と混同している人が多くて、揃わないことがあります。
殊に、一本締めとチョン締めを間違えて覚えている人が多い。
三本締めは
シャシャシャン シャシャシャン シャシャシャンを1セットとして3回繰り返す。

一本締めは
1セットのみ

チョン締めは
名前の通り1回だけシャンと手を打つ。

しきたりのうるさい古老がいるときは、注意がひつようです。

ところで、万歳のお作法はどれが正しいのでしょう。
即ち、掌を内側にむけるか前方にむけるかということなのですが・・・
両腕を指先までまっすぐ上にあげて、というのは前提としてです。
途中までしか上げないのは、降参・お手上げということでしょうから。


ライオンの群れ
喫煙ルームに70年配と思しき人が3~4人集まって、楽しそうに談笑していました。
ゴルフの話らしい。
「バンカーからホームランした。」とか
「順調にきたのに、最終ホールでOBを3連発してしまった。」とか、実に和やかなのである。
で、スコアーの話になると、彼らのいうのは「俺はいつでもライオンだ。」といずれもが口々にいうのである。
なんのことかと思ったら、「百獣の王」なのだとか。
110にかけて、警視庁とはよく言うが、百獣の王というのには聞いていて思わず笑ってしまった。
若いときには良いスコアーで回っていたらしいが、屈託なく笑い合っているのがすがすがしく感じられました。


鎌に取り縋ったカマキリ
草刈りの後、置いておいた鎌にカマキリが取りすがっていました。
蟷螂の斧(とうろうのおの)というわけでもあるまいに・・・

「蟷螂」とはカマキリのことで、相手がどんなに強くてもカマキリが斧に似た前足をあげて立ち向かう様から出た諺がある。

『韓詩外伝』に「斉の荘公出でて猟す。
一虫有り、足を挙げて将に其の輪を搏たんとす。
其の御に問いて曰く、此れ何の虫ぞや、と。
対えて曰く、此れ所謂螳螂なる者なり。
其の虫為るや、進むを知りて却くを知らず、力を量らずして敵を軽んず、と。
荘公曰く、此れ人為らば必ず天下の勇武為らん、と。
車を廻らして之を避く。
(斉の荘公が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとした。荘公が「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたところ荘公は「この虫が人間だったら天下をとっていただろう」と言った)」とある故事に基づく。

強がることのたとえにも用いる。
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ウニとの違い
脳の重さは、大体1300グラム位なのだそうです。
私のは、もう少し多いと思うけれど・・・
えっ、ウソだろうって?

人間は、その脳の重さを支え体を安定させるために、直立二足歩行をするように進化した。
結果、自由になった手を使うことができるようになり、特筆すべきは親指を他の指と対抗させることで、物を掴むことができるようになったことだという。
これは人間だけにできることなのだとか。
進化がすすんだとはいえ、DNAレベルで言えば、ウニと比べても99パーセントは同じなのだというから驚く。
万物の霊長としては、もっと進化しなくては・・・


花を見ることが少なくなった季節に
長く厳しかった夏があっという間に過ぎて、秋の訪れを感じていることもないまま、一気に冬を迎えそうです。
木々の紅葉は綺麗になってきましたが、花を見ることが少なくなりました。
そんな中、一面のアメジストセイジが鮮やかな紫色を放っていました。

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記憶力が良い人がいるものです
ふるさと会に行って参りました。

近年になく大勢集まり、年代別では私の同級生が8人の出席で、最大派閥を構成しました。
年の大半を海外に長期ステイしているY君とは、何十年ぶりかの再会でした。
彼こそ、前に書いたことがある因幡の城ウサギの劇のなかでワニザメの歌を歌ったご当人。

早速聞いてみると、歌ったことは確かに覚えているが、歌詞もメロディーも全く忘れてしまっているとの応えでした。
残念に思っていると、傍らで聴いていたMさんが、「私、今でもその歌うたえるわよ。」と願ってもない展開になりました。
60年も前の1時的なイベント中のことを、まだしっかり覚えているとは・・・
「ご飯まだ~」なんて言ってはいられません。

わははっは~ わははっは~ わははっはははっは~
バカなバカなワニザメや~い
わたしは前からこの島へ
来たい来たいと思ってた
けれども海が渡れない
仲間比べとだまかして
橋をかけてもらったんだ~
ば~かなば~かなわにざめやい


「きんたまはじき」とは
 なんともかんとも、すごい名前がついています。
 こどものころ、山で熟した実を摘んで食べたものです。
完熟して紫色となった実は、甘くて美味しかった。
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この実の別名に「ハチマキブドウ」などがあることは知っていたが、この植物は120種類くらいの名前をもっているらしい。
なんで、ナントカはじきの話題をとりあげているかっていうと、これって日本のブルーベリーということなのです。
彼の夫人が、ブルーベリーの栽培を日本で最初に始めた農家出身である友人が、大粒のブルーベリーをジャムにしたものを恒例により同期会に持参してくれ、みんなで伴食したのであるが、帰り道が一緒だったので、その木の実の話しをしたところ、彼もそれがナカマだということを知っていて、なんとも嬉しそうな顔をして笑った。

彼が育ったあたりでの名前も、AAのあたりの呼び名と同じく「キンタマハジキ」だったとのこと。なんではじくのかね~。いたいのにね。


呪文 アカイマンマにトトそえて
 アカイマンマ(イヌタデ)は、子供がママゴトのときに使いました。
 そもそもが夏の時期の雑草ですが、刈り取られた後、しぶとく息を吹き返し、小さいながら花をつけて咲いていました。
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 アカイマンマにトトそえて しろいまんまにしいかけて にんじくまんじくふくたまれ。
どういう意味の呪文だったのでしょう?

百合の花弁を1枚はがし、両手のひらで上記の呪文を唱えながら、軟らかくなるまでそっと揉みます。
そうして端から息を吹き込むと、風船のように膨らみます。そんな他愛の無いものが玩具がわりであった時代に育ちました。


ちっちゃな気づきからチャンスは生まれる
 それは突然閃くちっちゃな気づきからはじまるらしい。
誰にでも気づきというのはあるが、それをすぐ素直に行動に移し、気づきをチャンスに変えて成功に結び付けられる人は少ない。
成功者に聞くと、「最初は些細なことからだったんです。」という。
ちっちゃな気づきをふくらませて大きく育てることのできる人と、いつまでも変わり映えのしない人との差はなんなんだろうか。
小さなことでも、良いと感じたことを疎かにしないで実行してみるということから始まるのかも知れない。

ヤマイモの葉が紅葉しました
ヤマイモの葉が紅葉しました。
庭に落ちたムカゴ(百合や山芋などにできる黒い実)から芽を出し、夏の間は青々と茂って目を楽しませてくれました。
蔓の下を掘っても、まだヤマイモが大きく育ってはいないでしょうが、春からずっと移りゆく姿を日々見ることは、心豊かになれることでありました。

yamaimo

敬語の稽古はじめに
 ごってんやまの かんぬしが おみくじをひいてもうすには~

 中学でだったか高校でだったかで、声を張り上げて歌った学校の応援歌。
 「申す」は謙譲語だから、意味の本来は「おみくじをひいて、おっしゃいますには~」なんだろうけどネ。
 ちかごら「申される」なんてのも平気でつかわれるから、まあいいか。

 文化審議会国語分科会が、敬語の適切な使い方を示した実例集をつくることを決めたんだと。
そこでさあ~お立会い。AAからの宿題が出ることになる。

*広告の下の方、電話番号のそばに「問い合わせ」或いは「お問い合わせ」とよくあるんだけど、どちらが正しいか。

* 電話などがかかってきた際、当事者がいなかったような場合、「伝えます。」「お伝えします。」どちらが正しいか。

どちらも、さして違和感なく使われているようだから、どうでもいいっていえば、どうでもいい類のことなんだけど・・・
ひまな人は、考えてみてネ。


出羽の守と呼ばれる人
 江戸時代にキレモノと言われた柳沢出羽の守のことでも、ノゾキの出歯の亀さんのことでもありません。
 世の有識者中には、「出羽の守」と呼ばれる人達がいるのだと、或るジャーナリストが書いていました。

 「フランスでは、」とか「アメリカでは、」とか外国を引き合いに出して、それに比べて日本が遅れていると主張するんだとか。
 本当にそうなんだろうか。

 私の長男は、勇躍オーストリアのザルツブルグに留学し、その後プラハに在住することを含めると、海外生活15年余になる。
彼が言っていることは、「日本て、なんて素晴らしい国なんだろう。」です。
 彼のブログを読んでもらえばわかりますが、あちらの文化には現地の人以上に溶け込んで、その芯にあることも汲み取るほどに馴染んでいて現地の人からの信頼も篤い。
その彼がそういうのです。
日本人のオヤジとしては嬉しいし、諸外国に対してももっと皆が自信をもって振舞えばよいのにと思うことしきりです。
日本の文化は、人情は、マナーは、出羽の守たちがいう以上に素晴らしいのです。


ナナカマドとセンダン
「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は、白檀のことだとも聞きますが、芽が出たときから良い香りがするらしい。
 花はこの春に初めてみました。数少ない香木の一種です。
 はっぱがちょっとだけ、ナナカマドに似ている。
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ナナカマドは、七たび竈で燃やしても燃え尽きないというところから付いた名前だということですが、バラ科のこの木は、大きく茂ったのを山中で目にすることがあります。
秋長けて真っ赤に焼けた葉に霜があたると、もうそこは冬の領域にかわります。

nanakamado2

しら鳥は悲しからずや空のあお
 ハクチョウが飛来したとの便りが聞かれるようになりました。
湖に浮かぶ白鳥は、優雅なものであります。

 が、一旦陸にあがるとそうでもなくて、縄張りを主張するんだか順位制を図ろうとするのか知りませんが、結構突っかかってきます。
それも、強そうな大人の男にではなく弱そうな女子供に対してであります。
ガチョウもその気があるし、甚だしきは猿であります。
 こちらが対抗手段をとろうものなら、動物愛護団体や生き物に優しいと自認している人たちから非難されます。

 そうかと言って、害意はないんだと言って聞かせてわかる相手じゃないし、むこうにはむこうの都合があるのだろうから、癪でもとりあえずこちらが避けて通ることにしないとならない。
 動物相手では仕方なくとも、他人や国相手となるとそうもいきかねる。

 うみのあおにも しまずただよう だけではどうにもならないのであります。


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