旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

体罰は

体罰についての問題が次々に問題化されています。

アメとムチ。教育というものは、ある種の強制でありますが、どこまでが許容範囲で、どのように行うのが理想的なのかは、確立されていない。

体罰がいいか悪いかということだけを捉えれば、ない方がいいに決まっている。

 

ただ、議論の仕方を聞いていると、これでこの先無くなるとは思えない。

 

最も無責任だと思える意見は「言えばわかるのだから・・・」というものだと思えてならない。

スポーツに限らず、「言えばわかる」というのであれば、世の中に犯罪は起こらない、ということになる。泥棒も交通違反も暴行事件も皆無になる筈。

でも、それらには強烈な罰則が科せられても尚、無くなりはしない。

 

「解る」と、「できる」「しない」は、別のものなのだと思う。

 

ルールを互いが守るということは、全体のバランスが取れたルール作りと、如何にしてそれを順守するシステムを構築し徹底していくかということであろうから、簡単には行くまいが、人類の知恵を絞らねばならないことであることは確かです。

 

問題が起こったとき、その一部分だけを取り上げて、耳触りのいい事だけを言い合うのではなく、全体像を検討しなくてはならないのだと思うが、人類誕生以来の歴史を積み重ねてなお、未だに解決できていない大命題なのです。

 

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幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけがありません。

やると良いと頭ではわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、何も変わらないのですから・・・

 

でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

できることは有ります。やってみると、今まで見えなかったものが見えてくるものです。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをするのか

http://www.kng2321-cbs.com/why%20cleaning%20.htm

 

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私の書いた 小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進む。

http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html 

 

気づけばわかる潜在意識へのヒント

旅行・登山・お出かけから得た幸せ日記

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愛とは何?

言葉が持つ音というのがあるが、同じ音でも意味が違うようでいて通じていることもあるように思えます。

そんな言葉の持つ音のエネルギーを感じてか、スルメは擦るのが嫌だからアタリメと言ったり、

梨は無しに通ずるからということでアリノミなどと言い換えたりもします。

 

そうしてみると、愛とは何なのだろうか?

日本における愛とは、昔はカナシと読んでいました。

今の愛に近い概念は、「慈悲」。慈悲は愛よりも広く深い意味のようですが・・・

青は藍より出でて藍より青し。愛より出でるものは何なのだろうか?

 

吾意、自分の思い。Iは、自分。我意と音感も意味も近い。

阿意、阿呆な思い。

哀、悲しみ。

 

天の意は、天意(てんい)と読むけれど、天を「あ」と読めば、天の意思も「あい」なのかも知れません。

言葉の持つエネルギーは多分物質化するから、意識して使わなくてはならない。

初めに言葉ありき・・・キリスト教徒ではありませんが、言葉が世界を作っているように思うことがあります。

 

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幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけがありません。

やると良いと頭ではわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、何も変わらないのですから・・・

 

でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

できることは有ります。やってみると、今まで見えなかったものが見えてくるものです。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをするのか

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可能な限り本物に触れる

本物を見ることで、本物が解る目が養われる。

今は見かけなくなってしまったが、昔は質屋というのがありました。

質屋さんが子供を後継者として育てるためには、常に本物に触れさせるようにしていた。

骨董屋さん然り、料理人然りで、まがい物しか知らなくては見極める感性は育たない。

 

グッチが、子供たちに本物で良質な皮革を玩具のようにして遊ばせているのは有名です。

 

数学が嫌いだった子を、一流の数学者について習わせるようにしたところ、たちまち数学が好きになったという話も聞きました。

音楽も絵画も、本物に触れる機会を持った子が、大きく育つのだというのも、身近で目にしています。

 

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幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけがありません。

やると良いと頭ではわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、何も変わらないのですから・・・

 

でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

できることは有ります。やってみると、今まで見えなかったものが見えてくるものです。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをするのか

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誕生日が近い

もうすぐ誕生日を迎える。古来稀なりという年は、昨年すぎました。元気です。

誕生日は、年に一度の自分にとって大切な記念日。
皆さんはご自分のお誕生日をどのように過ごされますでしょうか?

子供の頃は、母がお赤飯を炊いて祝ってくれたし、結婚してからは、ご馳走を食べたりプレゼントをもらったりして嬉しかったものです。
ところが年を重ねるにつれ、感動は薄れ、誕生日がくるのを楽しみに待つことなんてなくなって、ひどい場合には自分の誕生日を忘れてしまって、妻がお赤飯を出してくれて初めて気づくなんていうことが度々でした。
でも、お誕生日というのは、とても大事な意味を持つものなのです。

誕生日は、生まれた時に発するのと同じくらい、偉大なエネルギーに満たされているのです。

選ばれてこの世に生まれてくると言うことは、本当に奇跡的なできごとなのです。

そしてやっと生まれてからも、食糧事情、暑さ・寒さや病や社会環境などの諸事情で幼い時に死亡することも多かったところ、無事にこの年まで生き延びられたことは、疎かにできないと思うのです。

日本では寿命も倍近くに延びています。命には、寿命と定命というのがありますが、それについては改めて書くことにします。

命が生まれ、死なずに育つことがあたりまえとなってしまった現代、人は、命と言うもの、生きると言うことに対しての尊厳や感謝の気持ちが薄れてきてしまったようです。

祝福され光明に包まれて生まれたときと同じ光に包まれる誕生日は、大事に迎えたい。


まず、自分が生まれたところを想像してみるに、母が苦しい思いをしながら一生懸命私を生もうとがんばっています。
自分も大変な思いをしながら、やっと頭を出し、「おぎゃあ」と言って暗かったところから明るいところへ出てきました。

母は生むのに精力を使い果たしとてもぐったりしているが、私が生まれてとても喜んでいます。

それからは、母に乳をもらい、おむつの処理をしてもらって育ててもらい、自分のことが少しずつ自分でできるようになりました。

それなのに、親孝行らしいことは何もできなかったことが悔やまれます。
遅まきながら、誕生日には「お母さんありがとう」と声に出していってみようと思う。

プラスの言葉を声に出すと、音霊(おとだま音の持つ波動・エネルギー)が発動するというから、あの世まで届くかも知れない。


そして、「お父さんありがとうございます」、「おじいちゃん、おばあちゃんありがとうございます」、「ご先祖様たちありがとうございます」などと、自分が生まれることに関係した人たちに、感謝の気持ちを述べてみようと思う。

加えて、妻や子や友達など普段自分と関わりのある人にも感謝の言葉を述べ、さらには、自分が住んでいる地球や、水や空気などの自然の恵みにも、感謝しようと思っている。

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幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけがありません。

やると良いと頭ではわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、何も変わらないのですから・・・

 

でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

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誕生日にすること

お誕生日は、年に一度の自分にとって大切な記念日。
皆さんはご自分のお誕生日をどのように過ごされますでしょうか?

子供の頃は、母がお赤飯を炊いて祝ってくれたし、結婚してからは、ご馳走を食べたりプレゼントをもらったりして嬉しかったものです。
ところが年を重ねるにつれ、感動は薄れ、誕生日がくるのを楽しみに待つことなんてなくなって、ひどい場合には自分の誕生日を忘れてしまって、妻がお赤飯を出してくれて初めて気づくなんていうことが度々でした。
でも、お誕生日というのは、とても大事な意味を持つものなのです。

誕生日は、生まれた時に発するのと同じくらい、偉大なエネルギーに満たされているのです。

選ばれてこの世に生まれてくると言うことは、本当に奇跡的なできごとなのです。

そしてやっと生まれてからも、食糧事情、暑さ・寒さや病や社会環境などの諸事情で幼い時に死亡することも多かったところ、無事にこの年まで生き延びられたことは、疎かにできないと思うのです。

日本では寿命も倍近くに延びています。命には、寿命と定命というのがありますが、それについては改めて書くことにします。

命が生まれ、死なずに育つことがあたりまえとなってしまった現代、人は、命と言うもの、生きると言うことに対しての尊厳や感謝の気持ちが薄れてきてしまったようです。

祝福され光明に包まれて生まれたときと同じ光に包まれる誕生日は、大事に迎えたい。


まず、自分が生まれたところを想像してみるに、母が苦しい思いをしながら一生懸命私を生もうとがんばっています。
自分も大変な思いをしながら、やっと頭を出し、「おぎゃあ」と言って暗かったところから明るいところへ出てきました。

母は生むのに精力を使い果たしとてもぐったりしているが、私が生まれてとても喜んでいます。

それからは、母に乳をもらい、おむつの処理をしてもらって育ててもらい、自分のことが少しずつ自分でできるようになりました。

それなのに、親孝行らしいことは何もできなかったことが悔やまれます。
遅まきながら、誕生日には「お母さんありがとう」と声に出していってみようと思う。

プラスの言葉を声に出すと、音霊(おとだま音の持つ波動・エネルギー)が発動するというから、あの世まで届くかも知れない。


そして、「お父さんありがとうございます」、「おじいちゃん、おばあちゃんありがとうございます」、「ご先祖様たちありがとうございます」などと、自分が生まれることに関係した人たちに、感謝の気持ちを述べてみようと思う。

加えて、妻や子や友達など普段自分と関わりのある人にも感謝の言葉を述べ、さらには、自分が住んでいる地球や、水や空気などの自然の恵みにも、感謝しようと思っている。

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幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけがありません。

やると良いと頭ではわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、何も変わらないのですから・・・

 

でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

できることは有ります。やってみると、今まで見えなかったものが見えてくるものです。

 

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外国人と話すと

こちらが日本人だとわかると、実に嬉しそうに近寄ってきて、日本語を知っているという。

コニチワ(こんにちは、ではない。)

サヨナラ

ニーハオ・・・それは、違うってば。

 

そんなくらいでも、会話を持とうとすることを見習わなければと、日本語しか知らないこちらは思うのです。

好きだという「アイジンノモト」というのが何か解るまでには、時間を要しました。

まさか愛人の元のわけはないし・・・

味の素のことだと解って大笑いしました。

 

こちらだって、解らない発音があります。

バクシーンて言うからback scene のことかと思ったら、Vaccine(ワクチン)

のことでした。

昔、ハワイでレンタカーを借りようとしたとき、書類を出してきてイニショーと言われた時も、何だか解らなくて困りました。

指さした欄がサイン欄だったので、イニシアルを記入しろということだったのですが・・・

 

遅まきながら、少しは話せるようになりたいと思っているところです。

中・高・大とやってきたことは、殆ど身についていません。

 

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でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通です。

 

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戒名について聞いたことに

そんなものはいらないと言う人が増えてきているようですが。

 

坊さんに言わせると、人は死ぬと三途の川を渡り、閻魔大王の前に引き据えられる。

そこで生前の善悪を問われることになるのだが、俗名のままであると洗い浚い今までの行いが照魔鏡に映し出されてしまうので、間違いなく地獄行きということになる。

 

ところが、戒名での経歴は真っ新で綺麗なままだから、極楽行きということになるのだと言うのです。

 

実際がどうなのかということを経験した人はいませんし、証拠を示して証明されるわけではありませんので、疑えば疑うことができることになります。

 

しかしながら、科学的に根拠がないことをすべて否定できるかというと、そうもいきません。

 

今までに経験したことにより鮮明にイメージされてしまったことは、実体化する可能性だってあり得るからです。

 

占いもそうですが、最初に人の不安を煽って、自分の言うがままに繰ろうとするのが透けて見えるような人の言うことは信じられなくても、信頼に足る人もいます。

 

要は、善根や徳ををキチンと積めば、よいということなのでしょうが・・・

 

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初めは手で、終わりは足

何かを始めることを、手をそめる、といいます。

手を染めるって何だろうと思うでしょうが、手をそめるのそめるは、初める、始めるということです。

書初めとか、出初とかのソメです。

 

初めは手なのに、終わりは足です。

足を洗う。というのが終わりです。

素足で托鉢などに歩いた僧が、寺に返ってきたときに足を洗ったことからきているのだといいますが、足を洗うとは、悪いことをしていたのを止めるという使い方の方が多いように思います。

 

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東京のパワースポット

 消え残った雪が踏み固められて、つるつるに氷った道を歩くときは、左足を滑らさないように気をつけるといいんだといます。

 

オジイサンの会の新年会で初詣に行ってきました。

東京大神宮での昇殿参拝から始まりました。

ここは縁結びに霊験あらたかだということで、若い娘さんたちが列をなして並んでいました。パワースポットとして有名なのだとか。

 

昼食会となり、Oじいさんが先年再婚したばかりのSじいさんに声をかけました。

「あんたももう年なんだから、週に1回くらいにした方がいいぞ。」

「そうはいかないんだよ。食前食後やらなくっちゃ。」

「ああ、わかったわかった。やってる人は黙ってやってるから、様子はわかったよ。」そしてつけ加えました。「おれなんか、腰は使えないから、気を使っているんだ。」

 

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運のつけかた

運を味方につけるには、考え方をちょっと変えなければならないようです。

 

ライバルと競争しているときなどがそうなのです。

例えば、ゴルフなどで相手がパットするとき、「はずせ!」と思うか「入れ!」と思うか、どちらが良いかということです。

 

運命の神様でもある洗剤意識は、自分と他人の区別がつかないのだといいます。

他人に良いことを願うことは、自分によいことを願うことと一緒なのだとか。

「情けは他人の為ならず」と、昔の人は経験から言っていたようです。

 

逆は「他人を呪わば穴二つ」です。自分に返ってきてしまうということでしょうか。

 

どうしても自分が先に、というのが人情ですが、自分が良くなったら、自分だけではなく他人にもお裾分けをするのだと考えればよいのだと思います。

 

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フリーマーケットのフリーは蚤
休日になると、あちらこちらでフリーマーケットが開催されているのをみかけます。
このフリーマーケットのフリーは、free(自由)ではなくて、flea(ノミ)のこと。
蚤の市と呼ばれるアレです。
Fleaには、みすぼらしいという意味がありますから、使い古した新品ではないものが含まれています、ということなのでしょう。


「かも~」って?
外で食事をしていると、聞こえてくる言葉があります。

「これ、美味しいかも~」実に不思議な表現だと思うのです。
誰かが食べているのを見てとか、料理の写真を見てとかではなく、自分がいま現実に食べているものについて言っているのです。

食べ物が美味しいかどうかは、食べた本人の好みなのですから、美味しいか不味いかは、本人が決めること。
なんで「かも~」っていう曖昧な言い方をするんでしょうね?

断定的な言い方を避ける方が良い場合もありますが、なんでもかんでも他人の目や口を気にしなくてはならないほど、自分に自信がないのか?って思ってしまうのです。

こういう曖昧な言い方をする人たちが謙虚なのかというとそうでもなくて、実に頑固で自分の主張以外受け入れないことは枚挙に暇がないほど経験しています。
頑固さと曖昧、どうにも解りにくいが、根拠になる基盤に自信が持てていないことが共通しているように見えます。

誰も注意しなければ
午後からの会議に間に合うように電車に乗りました。
若い女性が、缶コーヒーを飲みながら乗ってきて、隣に座りました。
飲み物を飲みながら揺れる電車に乗り込む神経というのが解らない。零して、周りのひとの衣服を汚すかも知れないとは考えないのだろうか。

飲み終わるとその女性、空き缶を座席の前の床に置きました。
降りる駅に着いたその女性、缶を置いたまま平気で降りて行こうとしたので、「貴方、忘れ物。」と声をかけると、キョトンとして何のことだかわからない様子なので、空き缶を指さすと、不満そうな顔をしながらしぶしぶ持って降りて行きました。

親や周りの大人が公共の場所でのマナーを教えないし、そういうことを見かけた人たちが誰も注意しないから、民度が下がっていく。

海外に出ると、「日本人はマナーがいい。」ということで扱いが違うのだが、先人たちが培ってきた信用を、こんなことでは繋いでいけないことを恐れる。

鵜呑みのままでは
マスコミの報道は、どうも中国よりの記事ばかりが取り上げられているように思える。
歴史と国際法からみて、我が国の領土なのだということを主張するよりも、先の大戦や経済がらみの話に論点を持っていきたいのではないかと思えてしまう。

「日中記者交換協定」なるものがあって、中国に不利なことは書けないということなのかも知れないが、領土問題とそれらは別の問題であることを論理上分けて議論するべきである。
ネット上でマスゴミと書かれるような偏向報道は避けるべきだと思う。

領土を主張することが何故、右傾化だと括られるのか理解に苦しむ。国を守るのは、極めて当然なことであり、そのために譲れない信念を無くしては、国の形態を維持できまい。
マスコミの報道は怖いのである。自分で調べても、事実関係はいくらでも出てくるのだから、鵜呑みにだけはしたくない。

ここにきて、中国側の外交文書の中に、尖閣諸島は日本の領土だと認めている資料が出てきたという。
にもかかわらず、それを国内に知らせることなくして、中国では戦争を煽るような論調が高まっていることのニュースの方が大きくとりあげられている。
日本が戦争をしかけるわけもない。ただ、事実を主張しているだけだと思うのだが・・・

神社に参拝するなら
初詣に行くとき、できる限り神様の近くでお参りしたいと考えるのは、普通のことです。ご利益のあるなしにかかわらず、そうしたくなります。
なるべくなら、昇殿して参拝すると良いと思います。

そこで、昇殿して神職に祝詞(のりと)を神前に奏上して頂くわけですが、この「ノリト」というのは、普通に読めば祝辞(しゅくじ)です。

言祝がれているノリトを聞いていると、良いことばかりを連ねて、鍛えられた声で奏上しています。
神様は、目出度くて良い言葉がお好きなようです。厭な言葉は、神様だってお嫌いなのだと思うのです。

普段の生活の中で、他人から好かれ望みどおりの協力や援助を受けている人たちが口にしていることは、快く感じられる言葉であり、決して人の悪口を言っていないことに気づくのです。
神主さんがあげるノリトは、解りにくい言葉だからとあなた任せにしないで、耳を澄ませてよく聞いていると、いろんなことが伝わってきます。

成人の日は雪
初雪に 雀のはばたき タバコの火
成人の日の朝は、雨から雪にかわりました。
降り始めて30分もしない間に、ミモザの枝を撓ませるほど積もりました。

寒さを忘れて、タバコをくゆらしながら降りしきる雪を眺めていると、雀が数羽飛んできて、餌台にむらがりました。
5メートルくらいしか離れていないこの餌台には、人影があるうちに雀がやってくることはありません。
Grand was coverd with snow.
餌が見つけられなければ、背に腹は替えられない。まだまだ降り続くということなのかも知れません。


苦悩を消すのには
この世の苦悩は、因が結果として現れるときの姿なのだという。
因は、自分が物ごころついてからのものばかりとは限らず、前世のものまであるというから大変なのだが、形として現れれば必ず消えるものだとか。

表れれば消えるとはいうものの、目の前の苦悩は消えて終わりだと思えないところに人間の苦しみがあります。
消えると信じきれればよいのだけれど、その苦悩を改めてまた掴み直してしまい、また新たな苦しみの因としてしまうのが常です。

「これで終わり」と思えないときは、塩を一掴み豆まきの要領と同じく、外に向かって「消えていけ」と投げつけるというのも一つの方法であるといいます。
これってやってみると意外にスッキリします。


梅に鶯 ともにまだ
暖かい冬なら、年明けすぐにウグイスの初音がきかれるのが、例年の楽しみとなっていました。
鶯は、今年は声も聞かれないし姿も見ないが、代わりにメジロがやってきます。

正月には咲くはずの梅も、まだ蕾が綻びそうにもありません。寒いのです。
盆栽仕立てにしていたものを、庭に下したものなので、幹回りは40センチほどあります。
場所がないので、サツキの間で窮屈そうにしているものですが、咲けば花が大きくて見事に盛り上がって咲くのですが・・・この様子では、2月中も無理そうです。

梅には、俳句も和歌も多い。
 梅一輪 一輪ほどの あたたかさ (嵐雪)
 梅が香に のっと日の出る 山路かな (芭蕉)
 人も見ぬ 春や鏡の 裏の梅 (芭蕉)
 手をかけて 人の顔見て 梅の花 (一茶)
 一輪を 五つに分けて 梅散りぬ (蕪村)
 東風吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ (道真)

すごい呼び名の食べ物
大阪の知人を訪ね、昼食時になったとき、「マムシでも食べに行きましょう。」と誘われて吃驚しました。
巳年だからマムシ?
ゲテモノ料理で、蛇の蝮を食べるのかと勘違いしたのです。
聞いてみると、鰻のことでした。「ま蒸す」から来ているらしい。

ところで、鰻を刺身のようにして生でたべられるか?ということなのですが、
答えはNOです。
鰻の血液には「イクチオヘモトキシン」という毒があるためです。
この毒は、蛋白質性の毒で、口に入れると呼吸困難や吐き気などの症状を起こします。
だが熱に弱く、60度以上で5分ほど加熱すれば壊れるので、蒸したり蒲焼にして食べることになります。

ところ変われば品(名)変わる、ということです。


貞操とは誠意であるか?

正月にTVを見ていた時、出演していた若い女性が四つ股をかけていて、そのいずれもから経済的援助を受けているのだと臆面もなく言い放って、いささかも恥じている様子がないのに仰天しました。若い男も似たようなもんでした。何も深くは考えていない。

それをするのを娼婦と呼び、限られた相手だけであれば妾であり、日陰の身であることを自らに課さねばならなかったのです。

古いやつだとお思いでしょうが、自分の相手に対する誠意の顕れは、自らがこれだけは律しているのだという決意のほど、最後の砦ともいうようなものなのだと思うのです。

男だってそれから逃れる理屈は立ちません。

よしんば浮気をしても、最後まで知られないように隠し通すことが、ウソにならないウソなのだと思えるのです。公言して憚らないようなものではない筈です。

西洋においては、中世に男女、とりわけ女性に対して極めて強い貞操観念が求められていました。

原罪の根源が「イブの犯した罪=女性の「性」」とされ、夫婦の営みそのものが宗教による監視の対象とされていました。女性に対して強い貞操観念を求める動きは近代になっても形を変えて継承され、定着していました。

古代の日本では原則的には対偶婚・一夫一妻でありましたが、儒教における姦通批難にも関わらず、男女ともに貞操観念が希薄でした。

「家」の存続・「家」と「家」の結びつきを口実として妻には夫の跡継ぎを生むことが義務付けられ、妻の姦通には重い罰が与えられる一方、夫の性は自由で側室を持ったり買春を行うことも後継者を得ることを目的として許容されるようになってもいました。

武家法は姦通に対する刑罰が重く、『御成敗式目』では姦夫姦婦ともに所領の半分が没収されるか流罪、『塵芥集』では死罪、『公事方御定書』では姦通した妻は死罪とされただけでなく相手の男を夫が自分の妻ごと殺害する「妻敵討」が合法化されていて、人妻との間の艶書(恋文)をやり取りでさえも重罪とされていました。

大正期に女性解放の声が高まると、貞操観念への批判が高まり、貞操観念を許容する女性活動家の間でも、夫の貞操義務を求める意見が出され、夫の貞操義務の存在を認める判断を下されるようになりました。

 


今年のフキノトウ
風があたらない陽だまりに、早くも蕗の薹が頭をのぞかせていました。
例年以上の寒さが続いていて厳しい気候のなかでも、自分の命の確かさを形にして見せる植物の強さを感じさせられました。

細かく刻んで味噌和えにし、そのほろ苦い風味を体に取り込むことで、自然の恵みに感謝しようと思っているところです。
厳しくても、春は巡ってくる。

fukinotou2501

南天は難を転じるということで
南天は、その語の音から、難を転じるということにつながる縁起の良い植物として、庭の鬼門に植えられます。
根元に福寿草を添えて植えると、福来たるということに繫がり、なお良い。

南天は、初夏に白い小さな花を沢山つけるのですが、花の時季に傘をするなどして雨に当てないようにしないと、秋に付ける実が揃わず、歯欠け状態になってしまいます。
南天の葉は防腐効果があるので、お祝い事でお赤飯を炊いて知人に配るときなどに一枝添えたものでした。

福寿草は、正月の縁起物として鉢植えされたものが売られていますが、鉢のサイズに入れるために根が切り詰められていますので、長持ちしません。
福寿草は、そもそもが根を広範囲に広げるものですから、庭などにおろすときは、それを考慮します。

小正月から節分にかけての鬼よけに「蟹柊」と書いた紙、あるいは柊に鰯の頭を刺したものを門口に飾ったものでした。
東京の我が家では、柊がないので、代わりに柊南天の小枝を使うようにしています。

南天の幹は、かなり太く育ちます。
当家の南天は、赤い実をつけるのも白い実をつけるのも、幹の直径が1~8センチほどになっています。

鹿苑寺金閣の茶室夕佳亭(せっかてい)には、南天が床柱にされているのをみることができます。
まだ見ていませんが、柴又の帝釈天にもあると聞き及びます。


七草粥を祝うのは
 明日は七草。
 これを食べることで、お正月のご馳走で疲れた胃を、優しくなぐさめます。

 芹 ナズナ オギョウ 繁縷(はこべら) 仏の座 スズナ(蕪) スズシロ(大根)

 オギョウは探しても見つからないのでタンポポの葉で代用、ホトケノザは普段野原で目にするヒメオドリコソウと類似したホトケノザは毒草です。
本来のものとは違うらしいので採らないで帰りました。
 春の恵みである蕗の薹が地面から顔を出していたので、これは七草とは違いますが摘んできました。

 七草は、草ではなく七種(ななくさ)の穀物を粥にしたのがそもそもらしい。
粥という漢字の弓は、器の蓋をさすのであって、矢を射る弓のことではないのだとか。

 七草ナズナ 唐土の鳥が 日本の国に渡らぬ先に あわせてバタバタ という呪文?を唱えながら俎板の上で草を刻んだものでした。
 唐土から鳥が渡ってくる前にということは、昔から鳥インフルエンザなんてのがあったのだろうか?

器は大きくできるか?
「あの人は、器が大きい。」とか、「人間の器が大きくなるようにしなさい。」とかは、よく言われることです。

 器というものは、生れ出た時に既に、一生かかっても入れきれないほどの大きさを、誰もがそもそも持っているのだと思います。即ち、誰のも大きい。

 その大きな器に、何をいれるか?ということの方が問題なのだと思います。
泥水や小石ばかりでは甲斐がありません。
 綺麗な水や宝物が入ってこそ価値があります。

 器は、大きくするより磨いて光らせるものなのだと思います。
 人間の器は、魂の入れ物。それを磨き上げることが、この世に生まれてきた大きな目的なのだと思うのです。
 綺麗な入れ物には、それに相応しいものが自然に入ってくる。


最後の仕上げに心を込める
ひと手間かける
 息子のプラハでの知人に、これはもう半端ではない日本通がいます。
彼は刀の鍔の蒐集でも日本人ですら驚いてしまうほどの域に達していて、本を出版しているほどです。
その彼に、息子が気に入っていた和食器をプレゼントしたところ大層喜んで、手に包みこんで矯めつ眇めつしばらく見入ったあと、糸尻にある銘のところに微かに色が挿してあるのに気付いて、「これはどうしてなのか?」と尋ねたのだそうです。

こういうのを、日本人は「ひと手間かける」っていうんだよね。と答えると、「ひと手間って何か?」と更に聞かれたという。

日本人は、工芸品でも料理でも、作るときに何もそこまでやらなくてもいいだろうという仕上げの部分に拘りを持つ。「あなたが知っているオタクという言葉の良い意味での突き詰め方といえば解りやすいかも・・・。さりげないところに趣を込める。」

彼は、今後の講演などで「ひと手間かける」という日本の文化を広めたいと、嬉しそうに帰っていったのだとか。


幸せへのステップ
この秋は 雨か嵐かしらねども 今日のつとめに 田の草をとる
(今日のつとめに田草とるなり)・・・二宮尊徳

今年も、可能な限り毎日、ブログの更新をしていこうとおもっています。
気づきというのは日々あり、それを素直にこなしていくのが、この世に生れ出た大きな目的である魂の磨きだと思うからです。

ひとは、この世に幸せになるために生まれてくる。
魂を磨くということは、そういうことなのだと思うので、私が感じたことをもっと上手に感じ取って役立ててくれる人がいたら、とても嬉しいことになります。

ご家庭でのお掃除の勘違い
ジュウタンに付いた汚れを落とそうとして、かえって汚れの範囲を広げてしまったりしていませんか?

Ⅰ.絨毯・カーペットのシミヌキ

1. こぼしたばかりのとき
早く拭き取らなくてはと思うあまり、塗り広げてしまったり、汚れを深く浸透させてしまったりしがちです。乾いたタオルなどで、外側から中心に向かって時々タオルの面を変えながら、汚れをタオルに移しとるように押さえて水分をとるようにしましょう。

2. 乾いてしまった汚れ
水性の汚れか油性の汚れかを判断する。タオルを水で硬く絞って汚れの上から押さえてみて、汚れがタオルに移れば水性のよごれ。移らなければ油性のよごれであると推定できます。水性の汚れは中性洗剤、油性の汚れは溶剤で落とします。

A. 水溶性の汚れ
1. スプレー容器を2本用意し、洗剤は棒状に、水は霧状に噴射されるようにノズルを調整する。

2. 水で堅く絞ったタオルを汚れの上にかぶせ、上から軽く叩いて、少しでも移る汚れはタオルにうつしとる。(濡らしすぎると、汚れの範囲が輪ジミとなって広がってしまうから注意する。)

3. カーペット用洗剤10倍希釈液を、棒状に噴射するように調整したスプレー容器を使い、汚れの外側から内側に向かって少量噴きかける。(少しづつ何回にも分けてやるのがコツ。)

4. 乾いたタオルを畳んで汚れの上に当て、タオルの上から硬い目のブラシを汚れの外側から内側にローリングさせるように押し当て、汚れをタオルに移しとる。タオル面は、綺麗な面をこまめに移動させながら使う。
上記3,4を汚れが落ちるまで繰り返す。

5. 汚れが落ちたら、清水を真上から霧状に噴霧し(濡らし過ぎないように注意)、4の方法で水分を吸い取る。

B. 油容性の汚れ
1. カーペット用溶剤を蓋つきの広口容器に20~30cc移す。

2. 溶剤をブラシ(歯ブラシ程度のサイズ)で、汚れの外側から内側にむかって塗布する。
この作業も少しづつ丹念に進めます。

3. カーペット用洗剤10倍希釈液を、棒状に噴射するように調整したスプレー容器を使い、汚れの外側から内側に向かって少量噴きかける。(少しづつ何回にも分けてやるのがコツ。)

4. ここからの手順は、上記「A.水溶性の汚れ」の4と同じです。

5. 汚れが落ちたら、「A.水溶性の汚れ」の手順に準じた作業を繰り返します。


Ⅱ.壁面の汚れ

壁の汚れ落としは下から上に、1㎡くらいの広さに区切ってだんだんにというのが、
仕事のやりかたです。

1.



2

3 埃は最初浮遊していたものですが、段々に付着吸着され、染めついてしまうのです。
初期の段階ならハタキで落ちたかも知れないものが、染み付いてしまうと厄介です。
ですから普段のこまめな掃除が大事なのです。

洗剤を使う前に、まずハタキや掃除機で可能な限り汚れを落とします。

スプレーボトルに洗剤を溶かし(最初は薄い濃度から)、1㎡位ずつ壁の下側から
スプレーして水拭きします。(スプレーでやるのが、一番効果的)
広範囲にやらないことと、下から段々に上という順にやるのがコツです。
洗剤が流れ落ちた液垂れ跡は、なかなか落としにくいのです。


ハリネズミを食べたいか?
ハリネズミのジレンマというのがある。
2匹のハリネズミが仲良くしようと思っても、近づき過ぎるとお互いの針が刺さりあって痛くてならない。そうかといってお互いの温もりを感じ合わずにはすまされない。
こういうとき、お互いの針が刺さりあわない距離が大事なことになる。

国際関係において、針とは即ち武力や国力のことになるが、悲しいかな力の伴わない正義というのは成り立たない。自分を守る針を短くし過ぎれば、身を守りきれない。

武力を持つと戦争になるというが、抑止力となってそれを避けられるという一面は、確かにあるように思えます。
ハリネズミの針は、攻撃用ではなくて、防御をするためのものなのですから。

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