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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

そんなに腰抜け揃いだったとは思えない
韓国人に聞くと、自分の先祖は両班だったと言う人が殆どなのだとか。
他人の先祖の詮索をするつもりはないからどうでも良いけれど、両班(人口比率は少ない)と中人・常人を合わせて約60%。その下の賤民(奴婢、白丁)が約40%も占めていたという。
歴史を歪曲するなというなら、その40%にも及ぶ子孫はどこに行ってしまったというのだろう。

彼の国は、身分制度が厳しかった。
王族
両班(ヤンバン)官僚
平民(中人、常人)
韓流ドラマを見ていて解るように、両班を一番上に、中人(チュンイン・雑科を出す階級)、常民(農民)、賤民と言う四段階の身分制度ができあがっていた。

常民以上を良民と呼び、賤民は良民に戻る事が可能な奴婢(ノビ)と、それが不可能な白丁(ペクチョン)で構成され、居住や職業、結婚などに様々な厳しい制約が加えられていた。

奴婢には国が所有する公奴婢と、個人が所有する私奴婢にわかれていて、家畜同様に市場で売買などが行われた。人として扱われていたのではない。
賤民は八賤、七賤とも言われ、白丁以外には、僧侶、巫堂(ムーダン)、妓生(キーセン)などもそれに含まれる。
奴婢(男の奴隷が奴、女の奴隷が婢)は、品物のように売買・略奪・相続・譲与・担保の対象になった。
かれらはただ、持ち主である主人のために存在する主人の財産であるため、主人が殴っても 犯
しても売り飛ばしても、果ては理由もなく首を打ち落としても、何ら問題とはならなかった。
ことほどさように、いとも簡単に主人は碑女たちを性の道具 にしても構わなかった。
ただ、そのことにより奥方たちの嫉妬を買った碑女は、打ち据えられたり、 ひどい場合は打ち殺されることもあったのだという。それは口にするのも憚られるほどに凄惨を極めた。

奴隷といへば、そういうもの。彼の国にあった制度なのだから、解り易い筈。
生奴隷と声高に言うが、本人に止める自由があり、休日があり、高額な報酬を得ていたという事実があるとしたら、職業としては不幸であると思うが、それを奴隷とまでは言えまい。
強制連行であったとも主張しているようだが、どこを探してもそんな証拠はでてこないというし、米国が8年の歳月と膨大な費用をかけて検証した結果も同様だという。
もっと不思議なのは、20万人といえば、その当時の人口比率から考えて、どれ位膨大なものだったのかということ。
そんなことがされていて、彼らは指を咥えて見ているだけで何も抵抗できなかった腰抜け揃いだったというのだろうか?

そういうことを疑問に思う人が一人もいないのだろうか?
真実を知るには、感情的にではなく、それがどんなに快くなくても、冷静に事実を検証していく以外にない。真実が明らかになれば、それは曲げようも無く強いものになろう。
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