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同じ苦悩を何回でも繰り返してしまうのは捉われているから
人は、大いなる意思をもった偉大な存在が別れてできたたものであるから、気づきさえすれば、互いに争うことなく、思ったこと望むことを、何事であれ実現する能力を自分の芯のところにあ「真我」という領域に持っているのだという。
その、内なる神とでもいうべき領域は、もともとが一つのものであったのだから、自分も他人も区別しないことになっている。

精神世界を学んでみると、「思ったことをそのまま具現化できる」といわれてはいるが、なかなかそうはいかない。
この領域に繋がるためには、過去世から現代にいたる誤まてる想念を清浄化し、消し去らねばならないのであり、そのために人は現生に生まれてくる。
この世の中のあらゆる苦悩は、それらの誤まてる想念を気づかせる為に現れるのであるから、現れた以上消える筈のものなのだが、消し去るための方法を修得できないから、改めて掴みなおしてしまいかねない。
それを消し去ることが、何事をも可能にする内なる神に通ずる道なのであるという。

最悪は、恨み言や復讐心を頑なに抱き続けることであるから、それが苦悩として現れ気づいたら「復讐は終わった」と宣言し、「許せないけれど許す」と自らに小声で言って聞かせ解放してしまうのが良い。
拘りを捨ててしまえば、業となっているものは消えて行く。

どちらかというと、他人を許すのは簡単であるが、自分を許すのは難しい。
人は、今更取り返しようもないのだけれど、後悔することを沢山抱えているものであり、それが自らを責めさいなむことがらが多い。それらにいつまでも捉われて、自らの魂を傷つける。

これは、手前勝手なこととは違うと思い決めて、こういうことは再び繰り返さないと自らに宣言し「禊は終わった」と小声で言って、それらを解放し、新たな自分として出直すことである。

自分を許し他人を許し、自分を愛し他人を愛すことができるようになることが、今生に生れ出た意味なのだと知ることから全ては始まる。同じ轍を繰り返していると、何回でも苦界に生まれ変わらなければならないことになっているらしい。
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