武士、ブシとも読むしサムライとも読む。
侍(さむらい)の語源は、貴人のそば近くに仕えることを意味する動詞「さぶらふ(さぶらう)」の名詞 形「さぶらひ」に由来する。
「さぶらふ」は、「守らふ(もらふ)」に接頭語「さ」が付いた「さも らふ」が古形となるのだという。「さぶらひ」は貴人のそばに、武芸をもって仕える男のことを言った。
我々がその武士(さむらい)という言葉を使うとき、強いことだけを指してはいないと感じる。
そこに求められているのは、「もののあわれ」を解する力であったり、「潔さ」であったり、「自らを自らが律する」高潔さであったり、公に殉じる心であったりが備わってことが要件のように思う。
そういうものが綯い混じったものを、自然に理解し尊敬するし、そうありたいと願いもする。
日本の神道に経典は無いとよく言われる。森羅万象の全てに神を感じ取り畏まることが自然にできるのが日本人なのだと思う。
誰が見ているわけではなくとも自然にそれができ、説明するまでもなく、互いがそうできる。
「美」というのも、同様に捉えているように感じる。
派手な色や形をもって美しいとはしないし、そこにもやはり「もののあわれ」ということが介在しているように思える。日本人というのはそういうものが根底にある。
世界各国から神秘的だと評される日本人の精神は、単一民族だからできてきたことではなく、繰り返し襲ってくる大自然の脅威の中、八百万の神々と共に互いを思いやることで培われ育まれてきた心のありようなのだと思う。
颱風の季節を迎える。
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私が書いた小説
ある日突然のように、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進めて、4月7日、第八部までを書き上げました。この続きがあるのかどうか、今のところわかりません。
http://www.kng2321-cbs.com/natukazakosino-new.html
童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html
心と体のために良さそうなものを集めていくページを作ってみました。興味をひくものがあると良いのですが・・・http://www.kng2321-cbs.com/kenkou1..html
女性のために役立ちそうなことを集めていくページをつくってみました。目につくたびにアップしていこうと思っています。興味をひくものがあるとよいのですが・・・http://www.kng2321-cbs.com/josei2.html
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自分は才能・能力はあるし努力も人一倍して頑張っているのに、望む成果が得られていないとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
人知を超える力に触れることで道を開く方法を探ってみるのが良いと思うのです。
人間だけが墓を作り、そこに花を手向けるということに、何か意味がありそうです。
<a href="http://www.kng2321-cbs.com/why%20cleaning%20.html" target="_blank">なぜ自分で墓石クリーニングをすると良いのか</a>
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