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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

役立つ意見を持っているのが識者なのでは?
TVをつけたら、識者に聞くとかいうのをやっていたことがある。

識者というのを辞書で引いてみると、物事に対して正しい判断を下す力のある人。学識・見識のある人。ということになっている。
だが、この「正しい」というのが、どうにも曲者に思えてなりません。何をもって正しいとするのか?ということです。

呼ばれて出演していた識者というのは、司会者或いは主催者の思惑に、いかようにでも合わせることができる能力は確かに持っているようであるし、自分が普段唱えている主義主張に合致させる為なら、論点をすり替えてでもそこに結論を持っていこうとする執念もまた、確かに合わせ持っているように思えます。
しかしながらそれらは、国民国家・社会の為にというよりは、捉われた自説に従ってということであって柔軟性には乏しく、あくまで自説を曲げないためのようにしているとしか思えてならない。
周りの状況が変わり新しい条件が加われば、考え方に変化があってしかるべきだと思うが、他人の主張を聞くよりも自説を押し付けたがっているようにしか見えない。
イデオロギーというのは、協調性を育むにはそぐわない考え方なのかも知れない。他の価値観を否定しないと、理論を構築できないということなのか、聞く耳というのがない。
与えられた諸条件のなかで、最も良いと思われる意見にまとめるということよりも、自分の主張を絶対正義と思い込んでいるらしいのが、不思議といえば不思議なのだが、どういうわけかそれを国民の代表する意見のように信じ込んで物をいうから、尚不思議になる。

まあ、それは個人個人の考えだから良いとして、司会者が自分の思惑通りに話を進めようとしているのが余りにあからさまなのには鼻白んでしまう。
司会者は、自分の意見を述べる場所ではないのだという認識が不可欠なのだと思うのです。

全員が同じことを言ったりするようになるのは、どこか胡散臭く感じられてしまうのだが、そんなのばかり集めてきて識者だといわれても、現状乖離の空論にしか聞こえない。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、12月20日、第10部まで書き終えました。
http://www.kng2321-cbs.com/natukazakosino-new.html

童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html

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自分は才能・能力はあるし努力も人一倍して頑張っているのに、望む成果が得られていないとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
人知を超える力に触れることで道を開く方法を探ってみるのが良いと思うのです。
人間だけが墓を作り、そこに花を手向けるということに、何か意味がありそうです。

なぜ自分で墓石クリーニングをすると良いのか
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