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知らないでいてものは言えない
エルサレムとは、アラビア語で平和を表す語から来ている名前だというが、流血の歴史がある地としてのイメージの方が強い。遠く離れた地にあるから、その地域の紛争が身近には感じられないが、知らないでいてよいとはならない。

米国務省が在イスラエル大使館を5月に現在のテルアビブからエルサレムに移転すると発表したことで、「トランプ大統領はいったい何を考えているんだ。そんなことをしたら、アラブ諸国が騒ぐに決まっているではないか。」という報道ばかりがされているが、本当にそうなのだろうか?
トランプ大統領は、かなり冷徹に状況を見極めて決断しているようである。

そもそも外交を担当する大使というのは、派遣先の国の元首に信任状を渡して仕事を始める。
その国の元首が居るところは、その国の国会議事堂がある首都であるから、大使はそこで活動するに決まっているし、大使を派遣している諸国もそうしている。
アラブ諸国が騒ぐというが、アラブの両雄ともいえるエジプトとサウジアラビアは、どうみても静観の構えである。
なぜなら、イランの脅威の方がそれどころではなく重大な問題で、揉めている場合ではないからだという。

以下は、イスラエルの歴史をネット上で拾ったものです。
調べてみると、どうも巷間いわれているような、ユダヤ人がパレスチナ人を武力により追い出して国を作った国であるということとは違うようです。

イスラエルは、紀元前586年には新バビロニア(現イラク)によって征服され、その後、勢力を伸ばしてきたローマ帝国によって征服された。そうなるともう、ユダヤ教のユダヤ人たちはここに住んでいられなくなって、世界各地に散らばっていくしかなかった。

614年にはペルシャによる侵攻。636年にはイスラム帝国がこの地を占拠、7世紀ごろからはアラブ人もこの地に入ってくるようになり彼らはイスラム教徒になっていった。

 このようにして、この地はいろいろな国、民族、宗教が移り変わっていったから、エルサレムという場所はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3宗教の聖地ともなった。

キリスト教徒は11世紀の後半から十字軍を遠征させ聖地奪還を目指したが一時的なことに終わり、、16世紀にはイスラム教のオスマン帝国という強い国がこの地域を支配することによって長い戦いの歴史にも終止符が打たれることになった。
このオスマン帝国の時代がどれくらい続いたかというと、なんと400年あまりとなる。そしてオスマン帝国では、この地域をパレスチナと呼ぶようになった。

 一方で世界各地に散らばっていったユダヤ人たちであるが、彼らは、勤勉で超優秀だったから、大成する人も多くいたが、国を持たない悲しさ、やっかみ、迫害を受けてパレスチナの地域に戻ってくる人も出てきます。殊にロシアから遠い先祖の地を目指した。
しかし、パレスチナにはアラブ人がすでに住んでいた。そこでどうしたかというと、地主から土地を買い取り、双方が納得してそこに共存するようになった。
パレスチナの地に戻ったユダヤ人たちとアラブ人の間には多少のいざこざはあったにせよ、彼らの関係性は比較的穏やかに暮らしていた時代だったといわれる。

 そんな中、第一次世界大戦が始まった。オスマン帝国はイギリス、フランス、ロシアと対立することになったのだが、この時にイギリスがとんでもない約束をしてしまう。

 まず、イギリスはアラブ人に対して「イギリス軍に協力するなら君たちの国家をつくるのに強力する。」と持ちかけます(フセイン・マクマホン協定、1915年)。
一方ではユダヤ人の金融資本家から資金提供を受けるために「お金だしてくれるならユダヤ人の国家を作るのに協力します。」と明らかに矛盾した約束をしてしまうようなことをした(バルフォア宣言、1917年)。
これが、現在に至るまでユダヤ人とアラブ人との関係がこじれてしまう原因である。

 結局、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領としてしまった。
ユダヤ人を優遇はしていたので1920年代には少しづつユダヤ人が増えていくことになる。
1930年代になると、そのユダヤ人の移住が急増します。年間20万人というものすごい数となった。これはドイツのナチスが力をつけユダヤ人を迫害したことなどが原因である。

パレスチナという土地は狭く、日本の四国と同じくらいの面積である。そこにユダヤ人がどんどん入ってくる。アラブ人がそれに怒り、対立が深まっていくことになった。

 1947年。第二次世界大戦後にはイギリスがパレスチナにおける治安維持能力を失い、この地を放り出して撤退することにし、国連の決定に委ねることになった。
ユダヤ人とアラブ人の対立が激化しすぎて、それに手を焼いたイギリスも嫌になったということである。

イギリスに丸投げされた国連が出した決断は、「パレスチナ分割案」。
しかし、この国連の分割案にはユダヤ人にかなり有利な分割案となり、水利が整っている地域はユダヤ人に荒地はアラブ人に・・・。これにはアメリカの強い後押があったといわれています。

 こうして、この国連分割案にそって1948年にはイスラエル国が独立宣言されることになったが、アラブ人が黙っているわけがない。イギリスが撤退した後を狙い、近隣のアラブ諸国に力を借りイスラエルへと侵攻することななった。これが第一次中東戦争である。
この時にエジプトが攻め込んだのが今の「ガザ地区」。そして、ヨルダンが攻め込んだのが「ヨルダン西岸地区」で、現在のパレスチナ自治区とされている場所である。

 この戦争はアメリカの支援もあり、イスラエルが勝利した。
結果として、国連の分割案ではパレスチナ人の領土となるはずだった場所もイスラエルが領土拡大で持っていき、ガザ地区はエジプトがちゃっかり支配。ヨルダン川西岸地区はヨルダンが占領することとなって、パレスチナは踏んだり蹴ったりの状態になってしまって、それがそのまま続いているのではないのか?。
現時点では力の左派歴然としており、互いが憎み合ってしまった結果を引きずっていては、うまくいくはずがないように思える。
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