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教え込まれたことが真実とは限らない
むかし、何かの集まりの折に、日本がやったと言われる韓国での創氏改名のことが話題になったことがありました。

喧伝されていることしか知らない人が多いから「酷いことをしたのかも知れないね」と言っている中に、「俺は終戦時まで朝鮮で育った。創氏改名などというのは全くの嘘だ。現に俺は朝鮮名のままの連中と机を並べて仲良く勉強していた。朝鮮人が改名を強制されたことはないし、それをしないことで罰則を受けたなどということは一切なかった。中には日本名を名乗る者が数名は居たが、彼らの親たちはみな商売をしていた。当時の日本は五族協和(日・中・韓・満・蒙)を唱えていたが、実際に中国や満州で商売をしようとすると、韓国名は軽んぜられた。何と言っても、日本人名の方が通りが良い。そこで、併合時でもあり、日本名を名乗っても宜しいでしょうかということで許可されただけである。」というのである。
さらに続けて
「もしも創氏改名が強制的なものであったなら、日本軍に韓国名のままの者が居て許される筈がない。殊に将官ということになれば猶更である。
将官(大将・中将・少将)というのは、軍隊の階級区分の一つで、佐官の上に位置するが、その区分は複雑で、 国により軍種により多岐に亘るとしても、将軍ともなると戦争という軍事面のことだけではなく、行政面などの戦略的な施策に関与する立場となるから、どう間違っても外国籍の者が日本の将官に任命されることはない。
そんな将軍は、世界中探したって日本以外には存在しない。日本人として遇していたからに他ならない。
現に、日本には韓国名のままで将軍になっていた人が大勢い居る。嘘だと思うのなら、国会図書館に行って調べてみろ。」とまで言われた。

調べてみると、実際に沢山居たのである。
李秉武(陸士7期卒留学生)
元大韓帝国親衛庁長官・侍従武官長を歴任し、勅令第118号により副将から中将に転官。
趙東潤
元大韓帝国侍従武官長を勤め、勅令第118号により副将から中将に転官。
李煕斗(陸士9期留学生)
勅令第118号により参将から少将に転官。
趙性根(陸士9期卒留学生)
勅令第118号により参将から少将に転官。昭和3年10月23日に中将に進級。
魚潭(陸士11期卒留学生)
勅令第118号により歩兵正領から歩兵大佐に転官。大正11年9月18日に少将に進級し、昭和5年12月22日に中将に進級。
王瑜植(陸士9期留学生)
勅令第118号により一般の陸軍将校に転官。大正14年2月10日に少将に進級。
金應善(陸士15期卒留学生)
勅令第118号により一般の陸軍将校に転官。昭和6年4月10日に少将に進級。
日韓併合後にも、
洪 思翊(こう しよく、ホン・サイク)の最終階級は陸軍中将。

「それどころか、日本が併合するまで、朝鮮では女には名前すらなかったし、男の名前だって意味を知ったらとても気の毒で呼ぶこともできないようなものまであったんだぜ。いまはメリーだのジュリーだのと名乗っているようだけどさ。」というのであった。

ということになると、創氏改名の強制は真っ赤な嘘ということになる。それどころか、今も罷り通っている通名をどうにかした方がいいのではないかということにもなる。

建国の歴史の捏造は、流石に日本人でも知る人が多くなったが、自分の顔でさえ平気で捏造してしまう国だから、彼らがいうことには眉に唾をつけて聞いた方が良い。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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