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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

カブレテ終わりだという文化ではない
日本人は他を恨んでそこから抜け出せないでいることより、心を励まして未来のことを大事にして進む。
新たな文化に接すると、今までを否定してそれを取り入れることにエネルギーを集中する性格を持つ民族だからだという意見を述べる学者が居るが、それは違う。それは一面的な見方ではなかろうか。
例えば、米国により東京大空襲や沖縄への攻撃、広島や長崎への原爆投下により無辜の民が何十万人も死に、国土も焼け野原にされたのに、アメリカが進駐してその文化の下に占領政策が敷かれると、それらの恨みをどこかに押しやってしまって、日本人は今までを全否定してそれに従ってしまうのがそのいい例だというのである。
そうだろうか?
確かに走狗よろしく、日本のそれまでを恥じらいもなく否定して、そのお先棒を担いだ者もいたことは間違いない。
しかし、日本人の全てがそういう考えでいたというのは、余りに皮相的な見方ではないのか?
そうではあるまい。悲しみや苦しみを乗り越え昇華して、先を切り開こうとするのだと思う人が多いのだと感じる。
アメリカの良い所を学び、それをモデルとして取り入れようとしたのだと考えた方が、より日本人を理解できる。

遣隋使や遣唐使により齎された中国文化のときもそうであったし、明治維新の時に西洋文明を積極的に取り入れたときもそうであったが、日本を全否定して、新たな文明一辺倒になってしまったということは一度もないのではなかろうか。
良いものは良いものとして評価して取り入れ、従来の日本文化と巧みに融合させ昇華して、より優れたものにすることができたのが日本なのだと思う。
カブレルだけではなく、同化してしまう潜在能力に優れているのである。調和ということが、根底で無意識にであっても働くのである。

戦後間もなくのことを思い出す。
甚大な被害を与えた戦争の相手国を恨んだり泣き言を言ったりしているより、生き残った者たちで何とかしていく為に力を合わせたのであった。
日本は大昔から、地震や津波、台風や火山噴火による被害を度々経験してきた。
そこからの復興のためには、泣き言なぞ言っている暇はなかったという歴史がある。
いい悪いを言っても仕方がないことに囚われているより、まず動いたのである。
和の精神・個人より公を優先・お互い様ということで互いを尊敬しあう精神、そういうものが自然に培われていた民族だから、いかなる困難も乗り越えられた。
その能力が戦後の焼け野原からでも立ち上がる潜在力であったのだと信じている。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

小説は、こちらでお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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