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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

多様性の前に
自由であることは大事だと思うし、それに反対する気は無い。
しかし、自分勝手に振舞うことが多様性の表れだということだけで容認されてしまうのはいかがかと思う。
個々人の好き勝手な行動が許されたら社会は混乱を来すから、最小限の規制を法として定め、それを互いに守るということで互いの生活は成り立っている筈なのだが、バレなければいいのだとして無法な振る舞いをする者は多い。
人たるの意識を保って自らを律することができるのは、法による強制ばかりではなく、そういうことをやったら悲しむ人が周りにいるからだとして思いとどまる気持ちがあるからだとも思う。
思い浮かべるのは、親であったり先生であったり友人であったりする。
そういう絆を育む場というのが、何時の頃からか阻害されてきてしまっているように思う。
「仰げば尊し」というのは、先生たち自身が否定してしまったのだとさえいわれる。
曰く、そんな感謝をされるほど、生徒に対して立派ではないからだということらしいが、そうなのだろうか?
何か一つでも教えたら、お師匠様である。師匠は弟子の為によりよく薫陶せんと努力を重ねる道に就いた志の高い人たちである。それは放棄してしまったとでもいうのだろうか?
親も子供たちに先生を尊敬するようにと教えなくなったことにも原因はあろう。

政策とか方針上からとかイデオロギーからにより、教育現場からなくしてしまったものもある。
卒業式で歌われた「蛍の光」は、今は殆ど歌われなくなってしまっているという。
殊に3番4番は、我々の年代の者ですら歌った記憶がない。
良い歌詞だとおもえるのだが、これを歌わせたくなかった理由というのは一体何だったのだろう?

3番
つくしのきわみ、みちのおく、      筑紫の極み、陸の奥、
うみやまとほく、へだつとも、      海山遠く、隔つとも、
そのまごころは、へだてなく、      その眞心は、隔て無く、
ひとつにつくせ、くにのため       一つに尽くせ、國の為

4番
ちしまのおくも、おきなはも、      千島の奥も、沖繩も、
やしまのうちの、まもりなり       八洲の内の、護りなり、
いたらんくにに、いさをしく、       至らん國に、勲しく、
つとめよわがせ、つつがなく       努めよ我が背、恙無く


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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

小説は、こちらでお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/natsukazakosino530.html

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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