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考えてもみないというのでは
憲法改正は、審議の場にのぼることもなく、それを話題にすると議論をする以前に寄ってたかって潰されてしまってきた。
憲法改正が良いか悪いかは、議論してみなければ判らないのではないのか?

戦後、一度も憲法改正も修正もしていない国は世界中で日本だけなのだという。
日本をあるべき、理想的なよりよい国にするという意味では、法律の基本である憲法をよりよいものにしていくということは考えても良いのではなかろうか。
世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正している。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは15回、ドイツに至っては58回も憲法改正を行なっている。
だから日本も、ということではない。考えてもいけないということでは、硬直しすぎていて現実問題に対処できなくなることだって出てこようということを言いたいのである。
改正が話題に出ると、必ず言われるのが「戦争になるから」という反論。
本当にそうなのだろうか?

何らかの平和条項を憲法に規定している国は多いというが、日本国憲法第9条がそんなに優れているのなら、世界中に広まってよさそうなものだが、そんな話は聞いたことがない。
世界の現実には対応できないからではないのか?
改正しなくて済むのならそれでも良いが、改正問題が出ると真っ先に反対するのがイデオロギーを中心にしている人たちだから、どうしてもそこに胡散臭さを感じてしまうのである。
日本の近隣にある国は、そういうイデオロギー国であり、日本側が手を出せないのを承知の上で、領海・領空の侵犯を挑発的に繰り返しているのではないのか?
違法占拠した北方領土を返還する気は皆無だし、尖閣には軍船を出してきて挑発を繰り返すし、
もともと自国領ではなかった島を違法占拠して居直っていたりと、周りはそんな国ばかりなのである。
一応は自由主義国という事になっている韓国は、このところ顕著に左傾化している。韓国の軍事予算は日本にほぼ匹敵する規模であり、日本を敵視していることを隠さない。
マスコミは必死になってそれらを隠そうとしているようだが何故なのだろう?
命がけで国を守ってくれている自衛隊員の身分だって認めようとしない。
隊員の補充だって、教師も自治体もどちらかと言えば協力的ではない。
憲法上の制約で、攻撃されなければ反撃できず、或いは攻撃を受けても即座に対抗できるようにはなっていない法の下では、一気に制圧されてしまいかねず何ともならない。そうなったら取り返すことは不可能に近い。自分は知りませんで済む問題ではない。

日本は侵略はしないが、即座に対抗手段はとれるという規定にすることくらいにはしておかないと、いざとなったとき国を守ることすらできない。そんなことで何をもって平和憲法というのかが理解できない。
何をされても文句を言わない、などということが平和だなどということには全くもって同意できない。
日米安保だって、いざとなったときに有効に発動するかどうかに危惧を抱かないでいる人は少なくなかろう。日本人自体が安保反対などといっているのに、米国が真剣になれる筈がない。
米国は、相手国を屈服させることが彼らの正義であって、いつだって自国の都合を優先する。
トランプ大統領が日米安保に不満を持っているらしいのは、兵員の命ということに限れば当然なのである。
同盟国でありながら、日本が攻撃されたときは米国が守るが、米国が攻撃されていても日本は援助できないということでは片務協定であると言われても仕方あるまい。
その部分についてはその通りであるから、文句のつけようがない。

そもそも、日米安保は米国が日本に軍備させないために押し付けたのであり、東西冷戦時代は日本にある米国の基地が戦略的に重要な意味を持っていた。
今だって、そこを拠点に極東から遠くは中東までをカバーしているのであり、日本だけが一方的に利益を得ているわけではない。対中国・対北朝鮮を考えたら、米国のメリットは大きい。
それでも日米安保を終了させるということになれば、それはやむを得ないことになるのであり、野党が責め立てるのは見当違いに思える。安倍氏に詰め寄っている議員が居たが、それならば日本独自で自衛できる体制をどうやって作ろうかという提案でなくてはおかしいだろうに。

実際問題としては、一国で自衛することは難しいから、集団的自衛を考えるのであって、同盟関係を結べるかどうかは多くの条件が伴うのは当然である。
それが破棄されるという事になれば、軍事バランス上、日本は核装備をしなくてはならなくなる。
日本国民が反対するであろうことは明白であるし、当面、米国がそんな条件をのめるわけはあるまい。
ならば、どうやって国を守るのか。

日ごろ何の法案に対しても、僅かばかりでも恐れがあると反対し、権利主張のみ声高に叫ぶ政党の人たちは、日本をどうやって守るというのだろう?現実的な案を提示したことは一度もない。
そんな案は考えてもいないし、他国に攻められるのは黙って受け入れるのだとしたら、表面上の平和のみを唱える二枚舌どころの騒ぎではなく無責任である。
憲法に対しての対案はあるのか?現憲法に不備は全くないとでも言うのか?
マスコミも含め、憲法には触れないものとしてタブーとしてしまっているのが果たして良いものなのだろうか?
まさかとは思うが、憲法改正に反対する人たちは「私は家に鍵をかけません。誰かに殴られても財産を取られても、仮令命をうばわれるようなことになっても、決して文句は言いません。皆さんもそうしてください。」というのではあるまいね?

自分は全て快適に過ごすことだけを求め、社会に対する応分の負担を果たすことは誰か他の人がやることであって、自分は嫌だというのでは、人間として余りにも身勝手ではないのか?
大多数のために折り合いをつけて共に生きるというのが、人なのではないのか?
見ないふりをしているのではなく、国民全員が真剣に考えてみる時が来ているように思える。

いずれにしても最後に判断をするのは国民投票である。
議論することにすら反対だけを唱える人たちは、国民を馬鹿だとでも思っているのだろうか?
国民全員が自らの責任から逃げることなく、議論を尽くしてみるべきだと思う。
改正するも改正しないもそれから先のことである。
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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

小説は、こちらでお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/natsukazakosino530.html

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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