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歴史から目を背けさせられたままでは
先日書いたことに、少し補足したい。

学校では、高校時代までに日本の近代史を学ぶことは殆どなかった。
それもその項は僅かばかり記載されているだけの教科書であったが、大抵は時間切れということにして、どちらかと言えば触れることを意識的に避けているようにさえ思えた。

我々が習ったのは、戦後間もなくの頃の1億総懺悔の風潮が色濃かった時代でもあったから、とにかく明治以降の日本に関するものは、戦争に限らず文化も全否定に近かったように思う。
善悪の判断は別にして、事実そのものさえ知られることを避けたい勢力があったのだとしか思えない。
全てを否定するような教育の下で育った生徒たちが、自らの国に誇りを持てる筈がない。
それでも、時間と共に、隠しおおせなくなった歴史の真実は、自然に表れてくる。

そんな全否定される時代の中でも、戦争で生き残った大人たちが、負けた以上は仕方がないということで言い分は全て腹の中に収め、黙って耐えている姿を見ると、学校で教わることを信じることはできなかった。
国の復興に、これもまた戦時中と同じように命がけで尽くしてくれたのだと、今になると判ってくる。
世の中に全否定されるようなものは無いし、全肯定されるものもまた同じく無い。
戦時のことはいろいろ悪く言われるが、守らねばならないものがあると信じて、日本は誇り高く戦ったのであるということが、最近になると目に見えてわかってくることが多い。
これは戦争を肯定するということではない。ものごとは、事実関係をありのままに検証することなしには後世の為には役立たない。
イデオロギーや政治の為に事実を曲げることは、良い結果に結びつかない。

定着してしまっている歴史を蒸し返し、過去を正当化しようというのではないが、事実くらいは知っても良いのではなかろうか。
良くなったこともあるだろうが、失ってしまった美徳というのも沢山あるのだと判る。
冷静に考えて、良いと思える文化を残してそれを培い、より発展させる努力というのはした方が良いのだと思う。それでこそ、新世日本だといえるのではなかろうか。

大戦のことに触れるのは、日本ではタブー視されてきたし、今だって大っぴらに言うことはできないように感じる。躍起になって反論する人も多い。
しかしながら、意外なことに日本以外の国で評価している人が多いのである。
それも日本軍とまともに戦ったことのある敵将が、それを言っていることを知るに及んでは、驚きですらある。日本人が知らないだけである。
敵であれ味方であれ、自分の国の為に必死で戦ったことのある人だけに理解し合えることがあるのだと思う。
外国人が評価するのであれば、日本人は受け入れる癖がある。
大東亜戦争の評価という動画があった。
https://www.youtube.com/watch?v=yTJKsjabj0k

自分で戦ったこともない隣国が、何だかんだと歴史問題を取り上げて、自国の学校で教え込まれたことだけを信じて日本を攻撃してくることがなかったら、こういう歴史を調べてみることはなかったと思う。
しかし、調べてみると、善悪は別にしていろいろ解かってくることが多い。資料が沢山残っているからである。
それに引き比べ、彼の」国が言っていることは捏造されたものが多いように思える。証拠を求められるとそれは全くないから、論点ずらしに終始するしかない。

何を勘違いしているのか知らないが、隣国は植民地支配されたと恨んでいるらしいけれど、植民地というものがどんなものだったのかくらいはちゃんと調べてからものをいうべきである。
彼らは搾取されるどころか得たものの方が多いのだということが判ってくる。
何万人も虐殺されたというが、そんな証拠を提示することはできない。全くの嘘だからだということになる。
それなのに、日本人は愚かなことに、韓国の主張にコロッと騙されてしまってきていた。日本側にそれに与する勢力が有ったからだとも思える。
日本側の言い分であるかも知れないが、欧米諸国の植民地支配下にあった国々と比べたら、韓国は天国のような扱いであった。
併合直前の写真などから類推するに、未開土着民族の状態から近代化への道を歩めたのである。

それが判断の根拠の全てだったとまでは思わないが、日本の先の大戦は、手を拱き、座して滅びるのを待つよりは、敵わぬことは承知で、滅びるかも知れないけれど、誇りのために戦う道を選択せざるを得なかったという側面事実もあったのだと感じ、先人たちの気概に比べ忸怩たる思いにとらわれる。
先人たちが平和的解決を望まなかったのだとはとても思えない。
今の我々の誇りって何なのだろう?

戦後の教育によるのかどうか、利他とか公よりも目先の損得や、重箱の隅をつつくようなことばかりに囚われるようになってしまっていて、大義というものを見失っていないだろうか?
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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/natsukazakosino530.html

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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