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狐狩りをする国が捕鯨反対だと?
日本はIWCから脱退した。途端にその組織は、資金不足に陥ってしまったという。
変な話である。
歴史的に捕鯨を続けて来た国の文化を否定し、その捕鯨に反対する組織のために不当な非難を度々浴びながらも多額の分担金を支払っていたのが日本だったということになる。日本の主張を頭から理解しようとはしなかった。

人類による乱獲のためにクジラの生存数が激減したため、この流れに歯止めをかけようと、国際捕鯨委員会(IWC)総会は1982年に商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を採択した。モラトリアムは1985年に施行されてから現在まで継続されており、いくつかの例外を除いて捕鯨活動は禁止されている。
捕鯨反対国が鯨の増加の為に何かしているわけではなく、増え過ぎた鯨が生態系に及ぼす影響について考えているというわけではない。

日本はいかなる産物に対しても乱獲ということは決してしてこなかった。
仮令それに生業として携わる者であっても取りつくすことはなく、必ず後々の為になる種を残すのが、自然に培われ継承されてきた文化である。
捕鯨禁止は種の保存のためというより、鯨が可哀そうだという感情論の主張のように感じる。
G8の八カ国の中で、非キリスト教国であるのはて日本だけ。他の国々が「キリスト教的な道徳や常識」を共有している中で、日本だけがキリスト教的な常識を共有しない唯一の【先進国】だということになる。彼らは常に、自分たちこそが正義であるということを主張し、他の文化を理解しようとはしない。

他国と違って、日本は鯨を捕獲した場合、肉や油だけを採るのではない。皮も骨も髭も全て無駄にしないで利用する。命あるものを獲ったのであるという感謝の気持ちが根底にあるから、捨てる部分は殆どない。。
日本では死んだ人には死後の名前としての【戒名】を付けるが、捕鯨した鯨にも戒名を付け、鯨塚(墓)に葬っていることは、あんまり知られてない気がする。
塚にとどまらず、神社として祀っている場所も日本各地に存在する。昨日今日に始まったわけではなく、1700年代には既にあった風習だとされる。命を頂くわけですから丁重に葬るのは当然で、今も受け継がれている。
日本では、命あるもののみを供養したり祭ったりするわけではなくて、使い古した針や釘や道具も捨てて終わりということにはしない。それらには魂が籠っていると感じる感性が有るから、使用を終えた後であっても丁寧に処理する。こんな文化を持っているのは日本だけであろう。

狩りの楽しみの為だけに狐を追ったり、その昔は人間狩り(侵略先の原住民)をした民族の正義とは精神性が違う。
特殊な例かも知れないが、電力会社の人や電力事業関係者は電気神社にお詣りするし、航空産業の人がお詣りする飛行機の神社っていうのもある。種子島のロケット神社こと宝満神社なんかもあるわけで、色々な分野に細分化した色々な神様が実際にたくさんあることをもってしても、命や物に対する考え方が違うことが解かるのである。

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私が書いた小説 
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、2018年10月10日、第12部の後、最終章をまで書き終えました。長きに亘り有難うございました。

小説は、こちらでお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054887709936/episodes/1177354054887713218


童話 「トイレの神様」・「お祖父ちゃんの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/natsukazakosino530.html

小説も童話も、カクヨム 百神井応身(シャクジイオウシン)で検索してみて下さい。
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