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日本も研究していた
日本の近隣には友好的だとは信じきれない国が並んでいる。しかも、核保有国だともなれば、安全だとばかり思い込んではいられない。抑止力が必要だといわれる所以である。
日本は1週間もあれば原爆を数百発造ることができると言われているが、あながち絵空事とは言い切れない。現在の技術力を云々するのではなく、過去にその蓄積があったのだという。

日本は唯一の被爆国である。その一方、太平洋戦争時に原子爆弾の研究・開発を進めていたことはあまり知られていない。大日本帝国が極秘裏に原爆の研究・開発をスタートしたのは、1940年ごろのこと。それは、陸軍航空技術研究所の安田武雄所長が理化学研究所(理研)の仁科芳雄に原爆の研究・開発を持ち掛けたことから始まる。  理研は、1917(大正6)年に政界・財界・学界の要請で設立された日本初の自然科学の総合研究所。 「理研は、第一次世界大戦をきっかけに設立された。大戦の勃発で、それまで海外に頼っていた薬の原材料などが日本に輸入されなくなり、生活や経済に支障をきたしたからである。こうした危機感から、政界や財界、学界などから科学分野を振興する必要性が高まり、そうした事情もあって、三井や三菱といった当時の大財閥から資金や土地の提供など、潤沢な支援を受けて設立された。
研究資金が莫大にあった理研は日本の科学分野をリードする存在で、特に仁科は原子核破壊装置「サイクロトロン」を世界で2番目に完成させるなど、物理学の分野では日本のトップ科学者として知られていた。原爆の研究・開発を持ち掛けた安田と仁科は東京帝国大学の先輩・後輩という間柄で、軍人と科学者という別々の道を進みながらも交流があった。そうした経緯から、安田は仁科に原爆の研究・開発を打診したのである。  原爆の研究・開発を持ち掛けられた仁科であったが、その申し出をいったん断った。このとき、すでにドイツやアメリカが原爆の開発・研究を進めているという情報が仁科のところまで伝わっていた。  アメリカは、当時の金額で約20億ドルもの予算を原爆開発につぎ込んでいる。それでも、仁科はアメリカが原爆を完成させることは技術的に難しいと考えていた。まして、研究開発費が約45億円と少なかった日本がアメリカに先駆けて完成させることは不可能と判断していた。
 また、原爆を開発できても、原料になるウランがない。陸軍は福島県石川町でウランを採掘させていましたが、原爆に使えるような品質ではなかった。そうした事情から、仁科はいったん原爆の研究・開発を断ったのであった。
しかし、戦局が悪化した1943年ごろ、事情は一変した。日に日に悪化する戦局を挽回するべく、陸軍は起死回生策として原爆に望みを託そうとしたのである。  再三にわたる陸軍の打診もあり、仁科は原爆の研究・開発を引き受けました。仁科の取り組んだ原爆開発は、仁科のニから「ニ号作戦」という作戦名がつけられました。原爆の開発を引き受けたのは、理研の優秀な科学者を戦地に送らせないという意図があったからだと思われる。原爆開発に取り組むという大義名分があれば、陸軍は無理を言ってこない。優秀な科学者を温存することで、未来の日本の発展につなげる。仁科先生は敗戦後の日本科学界、ひいては日本国全体のことまで考えていたのだと思われる
実際、陸軍の要請を受けて、仁科が原爆開発に取り組んだ際のプロジェクトチームには湯川秀樹や朝永振一郎といった科学者もいました。彼らは後にノーベル賞を受賞。仁科が想定したように、日本の科学振興や社会の発展に寄与している。  ニ号作戦は、未完のまま敗戦を迎えた、ということになってはいる。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって理研は解散させられた。
理研の解散によって科学者や科学の知見が散逸することを危惧した仁科は、製薬会社を設立。科学者を製薬会社で引き受け、科学者たちを研究・開発に専念させた。そして、肺炎や結核の薬としてペニシリンやストレプトマイシンといった抗生物質を一般に普及させ、多くの人たちを救っている。  理研のあった文京区本駒込は緑あふれる住宅街になっている。現在の様子からは、ここで原爆の研究・開発が進められていたことを窺い知ることはできない。
CIA機密調査班の調査が、日本の核開発は頓挫したという定説を覆す傍証があるにはある。
実は1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた。
海上爆発特有のきのこ雲の発生を日本人仕官が証言した噂が多々あるのだという。
資源は主に北朝鮮で採掘精錬、興南はアジア最大の軍事工場であった。
爆発数時間後、ソ連軍が侵攻し占領を急いだのは、その研究成果が欲しかったからだという。科学技術者たちを拉致拷問したとも伝わる。
戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の拠点になった興南が、その地であるという。

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