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台湾には恩義があった
恩義を忘れることはなかった。日嘉の歴史に残っていることである。

駐蒙軍司令官であった根本博中将は、終戦により武装解除を命令されていたが、ソビエト軍の満州侵攻は、8月15日の日本降伏後も止まらず、同地域の日本人住民4万人の命が危機に晒されていたのを救出すべく、罪を問われた際は一切の責任を負って自分が腹を切れば済む事だと覚悟を決め、「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と、日本軍守備隊に対して命令を下した。日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、ソ連軍内部でさえも数多の自国民を粛正するスターリンを信用していなかったからである。幾度となく停戦交渉を試みるが攻撃を止まないソビエト軍に対し、何度も突撃攻撃を繰り返したがやまないソビエト軍の攻撃を食い止め、寡兵ながら凄まじい白兵戦を繰り広げた。更には八路軍(人民解放軍の前身)からの攻撃にも必死に耐え、居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。
ソビエト軍との戦闘はおよそ三日三晩続いたが、日本軍の必死の反撃にソビエト軍が戦意を喪失したことにより撤退を開始、万里の長城まで帰着した。内蒙古を脱出した4万人の日本人は、三日三晩掛けて天津へ脱出し、その後も引揚船に乗るまで日本軍や政府関係者は彼らの食料や衣服の提供に尽力した。
その後引き続き、満州その他で取り残された在留日本人の内地帰還と北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、最後の船で帰国した。
終戦時、中国大陸には日本の軍人・軍属と一般市民が合わせて600万人いたが、蒋介石は日本軍の引き揚げに協力的で、本来ならば自国の軍隊の輸送を最優先させねばならない鉄道路線を可能な限り日本軍及び日本人居留民の輸送に割り当てた。
根本博中将は、そのことについて深く恩義を感じていて、いつの日かそれに報いんと思っていた。
中国共産党による中華人民共和国が成立。ほどなく国府軍は厦門を失陥し、金門島での決戦が迫る中、密航してまで台湾を救おうとした根本は、上陸してきた中国人民解放軍を破り、同島を死守した。義に報いたのである。
歴史に表沙汰にはなっていないが、台湾の要人はみな知っているという。

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