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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

体罰に限らず

何らかの悪いことをしたから罰があると言うのは、あった方が良い。

本人にその意識があれば反省もでるし、近頃話題になる体罰に納得もするでしょう。

しかしながら、本人に悪いことをしたという意識があるかどうかということになると、甚だ疑問に思えることが多い。

家庭での躾けはおおまかになっているように思えるし、モンスターペアレンツなんてのもいて、義務やルールを抜きにしてやたら主張のみするケースが増えているようにも思えます。

 

教育というのは、或る意味での強制ですし、躾けというのはその場その時にですぐ対応しなければ意味を持たない側面をもってもいます。

褒められていなければ何もできないというのでは、個の向上はあり得ない。

 

言えばわかるとよくいわれるが、わかるというのは、言われたらそうできてのこと。

そうなっていない現実を如何にしてクリアするかまでを提示できなくてはなるまい。

閻魔様や地獄の鬼や、押入れなど、怖いものだって必要なのかも知れない。

最近は、神様も仏様も閻魔様もおでましにならないから、自分の主張のみが正しくて、マズイことはバレなきゃいいとする横着者が増えたように思えてならない。

 

罪と罰ということになれば、罪刑は予め定められている必要がありますが、人倫の道ということになれば、その網はもっと細かなものになるから、根幹的な理解が共通認識となる文化が醸成されていなければならないが、そうしようとすれば反対意見の方が多くなるから難しい。

 

教育労働者説が唱えられ、ある種の団体が権利主張のみを強調し、マスコミ及びそれが招いてくる所謂有識者の意見が、さもさも全員の代表者であるかの如く声高に叫ばれるにつれて、穏やかな折り合いの付け方は遠のいていく。

 

薫陶するという言葉は殆ど死語に等しく、尊敬するということも口にされなくなってしまった。

 

学校における体罰というものがどのようになっているのか解らないけれど、スポーツにおけるそれは全廃してみればよい。

強くなるもならないも、本人たちの勝手。責任は自分で負えばよいだけのこと。

「道」と名がつく武道も、昔とは全く違ってしまったように感じるのは、私だけなのだろうか?

自らの人格を高めるために、自らを律して修練するものなのだと思っていたが・・・

 

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身近にある最大のパワーストーンで、気づきの体質になる。

 

できることは有ります。何でもそうですが、やってみると今まで見えなかったものが見え、解らなかったことが解ってくるものです。早くやれば良かったと、やった人は言います。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをすると良いのか

http://www.kng2321-cbs.com/why%20cleaning%20.htm

 

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小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むシリーズ。

http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html 

 

動いて気づけば潜在意識につながり幸せ

旅行・登山・お出かけから得た幸せ日記

http://a2take70.blogspot.jp/

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