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「夏風越の」 隼人外伝 1

隼人外伝 「天狗舞い」1

修行がある段階に達した後は、文武に限らず、新たに加えなければならないものがあるという

ことではなく、内なるものを削り出していくというのが相応しく思えるものになった。全ては

内に存在していた。

それに気づくまでに一定の経過は必要だとしても、何回もの生まれ変わりの中で蓄積されたも

のは、膨大であるが確かに存在した。全ては内なる神ともいえる形となって、そこに在った。

初めは、剣の速さを求めた。しかし、そればかりではない。剣先が届かねばならぬし、緩慢に

見えても避けられない刃筋というものもある。相手の間合いの外にいれば、いかなる攻撃であ

って躱しきれるが、躱していれば過ぎ去るというわけではなく、相手を凌駕する能力がなくて

は済まぬ。力というものには、能力というものと腕力というに相応しい暴力的なものがある。

力のない正義というのは、ときに争いを助長する。抑止力として働かないのである。

心の在り方は、更に重要であることに気づくに至る。

人が志を高く掲げ、その達成のために弛まぬ努力と強い意思を保ち続けることは大事なことで

あるが、念に凝り固まるのはよくない。心身は、軽やかで融通無碍であるほうが、人格の形成

のためには良い。

「直心是れ道場」。 直心とは、純一無雑で素直な心のことであり、直心なれば、喧騒の街頭

もまた静寂そのもの道場なのである。

 一人の樵が斧で木を伐ろうと、山深く入ったところ、「さとり」という珍しい動物が姿を現

わした。樵がこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、「俺を生

け捕りにしょうというのか?」という。樵が吃驚すると、「俺に心を読まれて、びっくりする

とはお粗末な話だ」とまたもしたり顔でいう。

ますます驚いた樵が、「ええい、小癪な奴。こうなれば斧で一撃のもとに殺してやろう」と考

えた。するとさとりは、「こんどは俺を殺そうというのか。いやー、怖い怖い。」と、更にか

らかうようにいう。

「こりゃー敵わぬ。こんな不気味な奴を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。こんな

ものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」と、樵は考えた。

するとさとりは、「とうとう俺のことをあきらめたのか。かわいそうに!」と嘲笑った。

樵はこの不気味な「さとり」を諦らめて、再び木を伐ることに没頭した。

本来の仕事を続けていると、額からは玉のような汗が流れ始め、それにつれて雑念はなくなり

全く無心になった。

すると、偶然、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、さとりにあたった。おかげでさとり

を生け捕りにすることができたという。 

 樵の心を読み取り、樵をからかったサトリも、無心状態になった心までは読み取ることがで

きなかった。

大乗仏教の経典である維摩経に出てくる説話である。

仏教も儒教も学問ではあったが、識字力を武士に限らず町民村民に高めたことに意義がある。

人は、言語を介して論理的思考を組み上げる。文字は、言葉にできないことまでも、書かれる

ことで、その紙背に言外の意味を伝えることができる。

自然界の万物に、八百万の神を感じ取り、畏まり受け入れ感謝する能力を培ってきた広い心が

我がことのみを願うのではない優しさを、時代が変えつつある。

勤王だ佐幕だの主張も、偏れば主義主張ばかりを通そうとして、争いばかりになりかねない。

活人剣、活人論でなくてはならぬ。隼人は、そう思うのであった。

今こそ、フォースではなくてパワーが必要とされる時なのだと、天からの警告と思しき地鳴り

を聞くたびに、心するのであった。

 

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小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むシリーズ。

http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html 

 

 

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