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旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

天からツケは払わされる

天をも恐れぬ、身勝手とさえいえるような事件が次々起こって、もって行き場のない気がたまってしまっています。

自らを戒める規範というのは、なくなってしまったのでしょうか。

 

中国に四知という古い話があります。

話しのあらましをかいつまんでいうと、

ある深夜に賄賂をを届けた男がいました。「まあまあ夜遅くて誰も見ていないし知る人もいませんから、そう固いことを言わないで懐に収めて下さい。」と言ったのに対して、楊震(ようしん)という人は、言いました。「天知る地知る我知る人知る」
「誰も知るものがいないなんてとんでもないこと。天が知っている。地が知っている。私が知っているし、君もが知っているではないか。」これを四知といいます。
「天網恢恢疎にして漏らさず」ということでもありましょうか。

 

ところで、天というのは一体なんなのでしょうか?

単に天空、空のことをいっているのではなく、神様のことを指していると考えるのが普通です。

「お天道様はお見通しだ」というときのようにです。

悪事は、いずれ自分でそのツケを払うことになるのを知らないのだろうか。

 

為政者が説く天というのは、民意ということであることもあります。

無知蒙昧で、何の取り柄もない輩の集まりだからと軽んじていても、自ずからなるバランスがそこに働いていることを知らねばならない。

それに従って徳政を敷かないと、王というのは徳が高いことによって天から選ばれたのだから、徳を失えば斃れるしかない。ということになるわけです。

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物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。

いわゆる運といわれるものの加護のことです。

 

常に綺麗にしておく必要があるところは、玄関・トイレ・机・身嗜み・洗面所等ですが、究極の場所があります。

 

自分は特別な才能・能力をもっているのに、いまいち正当な評価が得られていないと思っている人は多いのに、何故そんな境遇なのでしょう?

自分一人だけではなんともならないものが現にあります。

 

「頭で解った」或いは「解ったつもりでいる」のと、どんなに小さくとも実際に体感して得ることとには、大きな差があるものです。体を動かさないと、運も動いてこない。

偉大なる何か(神様とも呼ばれます)から齎される気づきというのは、自分の単なる思いつきと違って、温かく快いものだから、違いが解るといわれますから、そういうものだと感じられたら動いてみることです。そこから開けていく。

それは、声であったり、文字であったり、ヒラメキであったりします。

 

気づけるようになるのに、できることは有ります。何でもそうですが、やってみると今まで見えなかったものが見え、解らなかったことが解ってくるものです。早くやれば良かったと、やった人は言います。

 

なぜ、自分で墓石クリーニングをすると良いのか

http://www.kng2321-cbs.com/why%20cleaning%20.htm

 

一人でも多くの方が実施されるといいなと願ってやみません。

 

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小説 「夏風越の(なつかざこしの)」 

幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むシリーズ。

 

第一部・外伝・第二部

http://www.kng2321-cbs.com/natukazakosino-new.html

 

童話 「恩を返せなかった猫」

http://www.kng2321-cbs.com/douwa1.html

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