FC2ブログ
旅も登山も風景や花があって、幸せを感じます。豊かな気持ちになれます。

神様は争い事が好きなんだろうか?
「宗」の意味というのは「モト」のことで、そこから中心となるもの、先祖を祀った廟(びよう)の意を持つようになっているようです。
祖廟(そびよう は一族団結の中心であることから,中心・根本として尊ぶ意味が出てくる。

神仏など超自然的な存在に対する信仰などということで理解するのであればよいのだけれど、それが組織を持ち、一派をなして教義ができ、儀礼儀典が備わってきて教えということになるとややこしくなる。

一派をなして宗教と呼ばれるようになると、なんらかの意思が働くのか多様化し、神として中心に据えた存在とその教義に従わないものは、悪魔であるとして徹底的に排除するようになってきたのではないだろうか。

宗教と宗教で対立すると、そこに協調や相互理解はなくなり、説得というものはもうきかない。
神仏をはじめとする超自然的存在は、本来自明(当たり前)ではないのにもかかわらず、信者はそれを自明のものと考え、疑うとか自ら考えてみることもせず、その存在について一切の疑念や矛盾点については問わないことを強いられる。
そうしてみると、「宗(もと)」をつかって人間が作った仕組みが宗教であるといえなくもない。

宗教は、そもそもが「人を幸せに導く力のあるもの」である筈だから、それは人種や住む場所によって大きくは違わないものなのではないだろうか?何故なら人たるの根本から起こるものなのだから・・・

世界の宗教の信者数は、キリスト教が約20億人(33.0%)、イスラム教が約11億9,000万人(19.6%)、ヒンズー教が約8億1,000万人(13.4%)、仏教が約3億6,000万人(5.9%)、ユダヤ教が約1,400万人(0.2%)、その他の宗教が約9億1,000万人(15.0%)といわれています。
これら大枠の宗教でも、宗教ごとに分派があって、その分派ごとの対立もありそうです。
そろそろ神様の神様が現れて統一してくれないと、世界平和の実現は難しそうです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
傍から見て、さして一所懸命ではなさそうに見えるのに、やることなすこと巧くいってしまう人というのが確かに居ます。
努力は大事ですが、物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。いわゆる運といわれるものの加護のことです。

自分は才能・能力をもっていて努力も人一倍して頑張っているのに、いまいち正当な成果が得られていないと思っているとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
自分一人だけではなんともならないものが現にあるのに気付かないか、気づいてもそのように動かないからではないでしょうか。


なぜ自分で墓石クリーニングをすると良いのか


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
血糖値が気になる方に!天然のインスリン野菜100%の「紅菊芋」


プロポリス・ローヤルゼリーはちみつ専門店


吸いながらラクラク禁煙!【離煙パイプ】


★TV通販で1時間に1000台を完売!痛くない脱毛器デピタイム♪


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が書いた小説  (購読無料)
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むシリーズ。
「夏風越の(なつかざこしの)」


私が書いた童話 (購読無料)
「恩を返せなかった猫」
スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 気づけばそこは幸せの世界. all rights reserved.