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戦後70年 終戦前日、爆撃された大阪城…石垣に残る傷痕
 今年8月14日午後、大阪城天守閣。藤田義雄さん(88)は米軍が投下した1トン爆弾の傷痕が残る石垣にそっと手を添えた。大阪砲兵工廠(こうしょう)をめがけた空襲があった69年前のこの日、城内に詰める19歳の新兵だった。自身は助かったが、多くの民間人が近くの国鉄京橋駅=当時=で翌15日の終戦を目前に巻き添えになった。「むごいもんやな」。藤田さんは当時の様子を長男の嫁、陽子さん(51)に語り出した。

 空襲のあった日は朝から快晴で暑くなりそうな予感があったという。記録によると最高気温は35・6度。寝泊まりしていた天守閣の1階で、任務に就く準備をしていたとき、空襲警報のサイレンが鳴った。

 「本日、使役は中止。天守閣内で待機せよ」と命令を受けた。仲間と「今日の敵さんは早出勤務かな」と話していたら、爆撃が始まった。頭上から屋根が抜けそうな爆発音が響き、強烈な地響きに体を突き上げられた。思わず、「アッ、おかあちゃん」と声が出て、とっさに毛布を頭からかぶったという。

 第1波が去り、恐る恐る出入り口に近づいて辺りを見渡すと、桜門付近で水道管が破裂し大量の水が噴き出していた。土煙の向こうに、慌ただしく駆け回る人影がいくつも見えた。

 ほかに被害はないかと見回していたら、爆音がすぐ近くに聞こえた。見上げると、次のB29が頭上に迫っていた。機体の下で何かがピカッと光った。「爆撃や」。反射的に奥に駆け込み、床に伏せた。直後に爆弾の破裂音が響き、爆風にのみ込まれた。地面が揺れ、コンクリートの床で嫌というほど額を打った。

 爆弾は天守閣から数メートル離れた地面に着弾していた。破裂した爆弾の断片が石垣に当たり、無数の大きな傷ができていた。B29の狙いが正確だったら、天守閣は爆破され、藤田さんは助からなかったかもしれない。

 生き残った天守閣のてっぺんから見た大阪砲兵工廠は完全に破壊されていた。鉄骨は曲がり、崩れ落ちた屋根に無数の弾痕があった。アジア最大の軍事工場だった往事の姿は見る影もなく「敗北」を悟った。翌日、終戦が発表された。

 国鉄京橋駅の被害は後になって知った。死者は500人とも600人ともいわれ、正確な数は今も分からない。ホームで電車を待っていた会社員や、当時の藤田さんと同じ年ごろの女子学生も大勢亡くなった。

 「戦争は人と人との殺し合い。女性や子供が巻き込まれることもある」。藤田さんの証言に、陽子さんは深くうなずいた。藤田さんはこれまでに孫6人を大阪城へ連れてきて戦争体験を聞かせた。「命の大切さを知ってほしい」からだ。

 記憶をたどる2人のそばで、かつて戦火を交えた米国や中国の旅行客がガイドブックを手に観光を楽しんでいた。藤田さんは「こんな時代が来るなんて、お釈迦様でもご存じなかっただろう」と振り返り、願った。「平和で豊かな時代がいつまでも続いてほしい」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141011-00000138-san-soci
※この記事の著作権は配信元に帰属します。



傍から見て、さして一所懸命ではなさそうに見えるのに、やることなすこと巧くいってしまう人というのが確かに居ます。
努力は大事ですが、物事が成功するとき、自分の力だけではないものが働いていることを否定できる人はいないと思います。いわゆる運といわれるものの加護のことです。

自分は才能・能力をもっていて努力も人一倍して頑張っているのに、いまいち正当な成果が得られていないと思っているとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
自分一人だけではなんともならないものが現にあるのに気付かないか、気づいてもそのように動かないからではないでしょうか。


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